阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

日: 2018年7月29日

京都の世界遺産と消防団

江戸時代の江戸の明暦(1657年)の大火(振袖火事)

ラリトプール市のパタン地域は、地域そのものが世界遺産ですが、地域としての京都は世界遺産ではありません。京都市内或いは周辺にある17か所の社寺或いは城が世界遺産です。

京都は、1788年1月30日に発生した「天明の大火」で当時の京都1976町の73%、1424町が消失、37神社、201寺も同様に消失し、4日間にわたって燃え続け鎮火したのは2月2日早朝でした。この火事は放火だったそうです。

もし、多くの社寺や街並みが消失していなかったら、まさに今の京都の中心街そのものが世界遺産になっていたことでしょう。下の右図は、当時の京都市街地とその消失部分(赤線の内側)の図ですが、この範囲の中にある二条城だけが現在、世界遺産指定されています。左図の赤点は、京都の世界遺産配置です。

京都の天明の大火での消失部分と現在の世界遺産

この時、活躍したのが1722年に制度が確立した常火消(幕府直轄火消)です。出火の報を受け取ると直ぐに二条城(幕府の京都支配の出城)に駆けつけ、大規模な延焼を何とか食い止め、次に御所の消火へと向かいましたが、時遅く御所は全焼。この活躍で、二条城は世界遺産として残ったと言えます。

華麗な加賀鳶で有名な大名火消や、町火消のシステムも同じ頃に創設されました。江戸では明暦3年(1657年)のいわゆる「振袖火事」をはじめ度々の大火に見舞われまた、幕府のお膝元という事もあり、すでにこの時点では常火消、大名火消、町火消ともに機能していました。しかし、京都ではまだまだ町火消の活動は定着していなかったようです。
民間の消防組織である消防団が、江戸時代の町火消から発展して今の形になるまで400年という長い歳月が掛かっています。今、やっと始まったばかりのネパールの消防団が、日本の消防団のように活躍するのは何時の事なのでしょう?

世界遺産パタンの消防体制と日本から贈られた消防車

ネパールでの活動で改めて感じた日本の消防団や世界遺産のお話しです。 私は2012年から2014年の2年間、JICAシニア海外ボランティアとしてネパール国首都カトマンズ市のすぐ南に隣接するラリトプール市都市開発部に勤め、市の耐震化計画や防災施策の実施事業を支援しました。
ラリトプールというのは「美の都」という意味で、市のパタン地区は,地区中心にある王宮を含めて世界遺産ですがその殆どが木造建築です。しかし、その防火対策は消火器すら充分にないという状況です。

ラリトプール市世界遺産の王宮広場

日本の都市で市の中に同じ様な歴史保存地域があり、人口・面積がほぼ近い都市を選ぶと、金沢市と倉敷市が挙げられます。話が少し硬くなりますが、世界遺産を有する京都及びこれらの都市と、ラリトプール市の消防力を比較したものが次の表です。

 

ラリトプール市と同規模の日本の都市及び世界遺産都市との比較
都市名 人口(人) 面積(㎢) 消防署及び出張所(箇所) 消防署員(人) ポンプ車(台) 消防団員(数) 消防団ポンプ車(台)
ラリトプール市 466,784 385 1 11 5 0 0
倉敷市 477,463 355 4 120 10 1,945 48
金沢市 466,189 355 4 416 17 1,101 17
京都市 715,444 828 48 1,943 59 4,247 6

この表から、ラリトプール市の消防力が、いかに貧弱かが判ります。しかし、それ以上に日本の各都市の消防体制のすごさに驚きます。それではと、私はラリトプール市の消防力を何とか強化しようと活動しました。(この活動の様子は、BS朝日で放映された「世界に役立つ日本人」で紹介されています。)

パタン王宮地域の消防力強化計画を策定の際、調査の為に訪れたそのラリトプール市消防署で、日本から贈られた4台の消防車を見つけました。消防署の話では、4台の消防車の中で、小型の自動車駆動用のエンジン以外に消防ポンプ専用のエンジンを搭載している小型の消防車は、水源が確保できる所では、最近インドから購入した大型の3.5TONの水槽付消防ポンプ車より送水能力もあり働くそうです。

日本から贈られた小型消防車

しかし、不思議なことに消防車の扉には、鴨島15消防分団と記載され、なぜか上の認識灯には鴨島10分団と記載してあります。鴨島町と言うのは四国徳島の吉野川市にありますが、まだ現役のこの消防車の写真を吉野川市役所に送ると、その話が掲載された広報誌を送ってくれました。広報誌「広報よしのがわ」には『徳島ネパール友好協会が、首都カトマンズ近郊のダバケル村開発委員会に小型消防車を贈り、感謝の額を貰った。』と載っていました。

消防車の扉や認識灯の違いの不思議は、市町村の統廃合で鴨島15消防分団が10団分に変わり、マグネット・シールを張り付けて使用していたが、贈る際にシールをはがしたとの事。これで、この不思議は判りましたが、それ以上に驚いた事を教えてくれました。
2011年に徳島ネパール友好協会がこの消防車を送った際に、陸送先遣隊(海のないネパールにはまずインドのムンバイ港に送り、それから約1,600KM以上の距離を陸送しなくてはなりません。) を含め、はるばるネパールに運転訓練の為に6人の技術者を送り、運転整備の訓練をしているのです。中古の消防車、動いて初めてその価値が生まれる物を、相手に贈って使ってもらう際のルールと言うか、心遣いがこんな所にも生きているのを知って、何か安心しました。
日本はドイツと並ぶ世界に冠たる民間消防組織の先進国で、民間消防組織の消防分団がこんな消防車まで持っています。前掲の表のようにさすがに京都の防災体制は鉄壁です。京都は昔ながらの狭い路地が碁盤の目のように入り組んでいるので、この狭い路地で初期消火活動が出来る500ℓの消火用水を積んでいる超小型の消防車や小型のはしご車も開発し備えています。

狭い路地にも入り込む小型水槽消防車

小型はしご車

京都の消防体制は、他の都市と少し違って、より広く市民を巻き込むような形で、市内の沢山の小学校が消防機材倉庫になっており、地区の消防団はこれを起点に活動しています。この形はこれから新たに市民消防組織を創設していこうという国々では実に有効なアイディアと思います。

 

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