阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

カテゴリー: 多様性 Page 1 of 2

ネパールの女性は強いのか?弱いのか?

さて今回の話題は、ネパールにおける「女性は強いのか?弱いのか?」という難しい問題です。

私は、2年間JICAのシニア海外ボランティアの活動の際に、女性の通訳や調査を行うスタッフと仕事をしました。彼女たちは私以上に流暢に英語を使いこなし、都会で生活しており欧米の女性と変わらないようにはっきりと物を言う人たちでしたが、彼女たちからネパールの女性の立場を判断するには早計のようです。女性の立場が強い、弱いというのは、その生活や人間関係の中ではっきりと表れるのでしょう。

ネパールで最初に開校されたトリブバン大学工学部を卒業した女性たち

上の写真の女性たちからは、女性が弱いなどと言うイメージは全くなく「明るく元気」という感じです。私が、ネパールで活動していた時のアシスタントもこの中の一人でした。英語が堪能で、1分間に40文字近いタイピング能力があり、CADも自在に操り、交渉能力もあり、実に素晴らしい女性でしたがしかし、次に紹介する幾つかの資料から、ネパールの女性の弱い立場についてもご理解されるでしょう。

ネパールでも昔の日本と同じように、「息子は家族を守り養う者」「娘は未来の他人の財産」という考えで、娘は初潮の前に嫁がせる方がよいと信じられていました。

『娘とはくれてやるものだ、

養ってくれる他の誰かに。

今日、娘を渡してしまって、

何とホッとしたことか、

負債もなく羽のように軽やかに』

これは【立ち上がるネパールの女性たち】という本に記載されている1600年前に書かれた詩だそうです。娘はお金がかかる前に嫁に出すというこの考え方は、今でも変わっていないそうです。

今は違法になっていますが、夫の死後、妻が火葬の炎に身を投げて後を追う「サティ」という習慣があり、今でもサティで火傷を負う女性は多いと言います。又、離婚の場合も、再婚できないように顔面を焼かれるという事も起きています。

民法に述べられている親の財産分与は、娘も息子と同様に求めることはできますが、娘は35歳にならないと受領できず、再婚した場合は残っている受領財産は父方の近い親戚に返さなくてはならないそうです。これも遺言がある場合で、遺言がない場合は相続権を持つのは、7世代以内の男系だそうです。

所がどっこい、ネパールでは国で定めた祝祭日は全部で30日ありますが女性のみという祝祭日は3日もあります。

その祝祭日には、女性たちは町内ごとにあるいは民族ごとに同じ綺麗な衣装に身を飾り町内を練り歩きます。それは、それは壮観でかつ、力強くもあります。

また、私がいた建築確認申請を受け付ける職場ではなぜか女性の施主による申請が非常に多く、朝早くから事務所の前にたむろしています。

又、国勢調査に、女性が固定資産の土地や家の所有権を持っている世帯数を調べている項目があります。世帯全数の中で、約20%で女性が家或いは土地の所有権を持っていると数字が出ていますが、嫁のうちは弱いが、腰を落ち着けると強いという意味ですかね??この数字は、ヒンドゥー教の社会の中でも予想外に女性の力が強いのかなと伺わせます。

家屋の所有登記者が男性か、女性かの国勢調査資料

やはりどの国も一緒なのですよ。男性と女性の力関係は、腰を落ち着けた後は。

ネパールという多民族・多宗教の国

ネパールの国勢調査の稿で、若い年代の結婚について書きましたが、この稿では、私たちのような島国に住んでいる民族にはあまり縁のない多民族・多宗教についてネパールの国勢調査に現れた民族、宗教をご紹介しましょう。

ネワール族の新年の時の民族衣装の少女たち

さてネパールという国ですが、皆さんご存知ようにヒンドゥー教の国で、カーストという特有の身分制度があります。ネパールのカーストには、バウン(司祭カースト)、チェトリ(王侯、軍人カースト)、カミ(鍛冶屋カースト)、ダマイ(仕立屋カースト)などがありますが、インドと違ってネパールのカーストは民族と結びついているので複雑になっています。しかし、カーストいうのは単に「生まれが同じ集団」という意味ですが実生活では、それぞれが独自の暦(暦については別稿でご紹介します。)を持っており、習慣も違うし、今でも女性が結婚する場合は様々な足かせとなっています。また、不可触民(ダリット)「カミ」は寺院に入ることや共同の井戸から水を飲むことなどが禁止されているそうです。(カーストは生まれ変わるまで付きまとう余計なものですが、インドでは最下層と言われるカーストの自殺者は他の層より多いという統計があります。現代インドにおける仏教の復興は、カースト差別の否定が主な原動力となっているそうです。)

国勢調査のカースト毎の人口(Population by caste/ethnicity)に記載されている表には、民族という言葉と同意語として集計していますが、なんとその数は129もあります。下の表がその抜粋です。

Table 20: by caste/ethnicity

  Caste/Ethnicity Population(人)
1 Chhetree 4,398,053
2 Brahman-Hill 3,226,903
・・・・ ・・・
127 Raute 618
128 Nurang 278
129 Kusunda 273

何と一番少ないカーストは、たった273人しかいません。このカーストを民族と呼ぶとしたら、本当に絶滅危惧種なのではと考えてしまします。人類は、動植物の場合ほど人間の絶滅危惧種に親切ではありませんので、将来どうなるのか心配です。

さらに驚くことにこの国勢調査の中に、祖語(Mother tongue)毎の人口集計がありますが、そこにはこの129のカーストのlistが並んでいました。ネパールは現在、七つの州の行政区画があり、その下部行政区画として全体で75郡に分かれています。昔、ネパールは此の数に匹敵するくらいの小国に分かれていました。そんな歴史の結果が129の言語、民族という結果なのでしょうか??

 

最初にネパールは、ヒンドゥー教の国と書きましたが、そうでもないのです。下の表は国勢調査の宗教ごとの人口です。この調査結果ではヒンドゥー教徒は81%だけで、19%は他の宗教なのです。この数字は、イスラム教徒とコプト教(原始キリスト教)の国と言われるエジプトで、コプト教徒の率はわずか3%という事と比較すると大きい数字です。ネパールには「仏教の日」や「クリスマス」という国の祝祭日ではない「宗教の祝日」があるのですが、他宗教の人も同じように休みます。これは他宗教の比率が高いから、宗教間の安定を図る意味もあるのかもしれません。(単に仕事をしなくていいと理由づけて休むのかも??)

Population by religion
Religion Persons %
Hindu 21,551,492 81.34
Buddhism 2,396,099 9.04
Islam 1,162,370 4.39
Kirat 807,169 3.05
Christianity 375,699 1.42
Prakriti 121,982 0.46
Bon 13,006 0.05
Jainism 3,214 0.01
Bahai 1,283 0.0048
Sikhism 609 0.0023
Undefined 61,581 0.2324
Total 26,494,504 100

(国勢調査の宗教ごとの人口)

日本のキリスト教徒は1%、仏教徒75%程度という資料がありますが、宗教的なお休みは全くありません。日本は戦後、宗教、信仰というものに対して正しい理解を避けて正面から向き合っていない事が一つの理由なのかもしれません。宗教とは言えませんが、正月は神社に、葬式は寺に、お盆には寺に、クリスマスには家族・友人でプレゼントを交換し、と言うようにイベントごとに宗教施設と気楽に付き合っているのが日本流なのかもしれません。

 

しかし、この様なネパールの状況を観察していくと、つくづく日本という海に囲まれた島で、殆ど単一の民族と言う感覚が持てる国に生まれた幸せをしみじみ感じます。ネパールは小王国が統一されたのちも王政でしたが、内戦が起こり共和制に生まれ替わりました。日本は単一の民族の国という共通認識の元に、我々の先祖は「王政」とは異なる「万世一系の天皇制」というストーリーを組み立て、平安時代から現代までも続いている国の安定を可能にしました。この先祖の知恵に対して本当に感謝しなければと思います。また、太平洋戦争当時、アメリカは日本を「菊と刀」に記されているように徹底的に日本民族の根本を分析し、この天皇制という制度は占領統治に絶対に必要だと判断し維持しましたが、その判断は今も有効に機能しています。

ネパールの長寿をお祝いする行事

この稿は、前稿の「ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで」の続きです。

ネパールでも、日本でも青年期を過ぎると、歳をとるまでこれと言った年齢を祝う儀式はありません。日本の長寿を祝う年齢(全て数え年)は、還暦(61歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、紀寿(百寿100歳)と100歳まで8回もありますが、此の年齢を祝うと言う文化をくれた中国と比べて、日本は格段に多い回数です。

中国では、「賀寿」と言い40歳から10年おきに祝う習慣があったそうですが、人間が長寿になるに従って上寿(100歳)中寿(80歳)下寿(60歳)を年齢の区切りとして祝う様になったとか。

ネパールのJankuの祝いの駕籠

此処、ネパールでは「ジャンク Janku」と言う長寿祝いが4回あります。「1回目ジャンク」は77歳7カ月7日目に祝います。「2回目ジャンク」は83歳或いは84歳の祝いで、僧侶が月を見て決めるとの事ですが詳細不明。ネパールの民族によっては、この2回目ジャンクだけを「Chaurasi puja」と言って大切に祝います。84歳と言う歳は1,000回の満月を含み、この歳に達すると八万四千回の生まれ変わりの後、人として生まれ変わると言われています。「3回目ジャンク」は88歳8カ月8日目に祝い、「4回目ジャンク」は99歳9カ月9日目に祝います。ネパールでは、このジャンクは家族だけでなく町内で祝い、家族を含め町内の若者たちがジャンクのお年寄りを、華やかに飾り立てた駕籠に乗せ、時には楽隊もつれ練り歩きます。家族によっては、記念のカレンダーを印刷して配ったりもします。

ジャンクの籠に乗る前にお化粧をして、家の中で祝いの儀式

ジャンクのお年寄りを載せ、練り歩く駕籠

日本の喜寿(77歳)から白寿(99歳)までは、それぞれ草書体や漢字の分解で長寿祝い名称にしており、日本特有と聞いていましたが、此処ネパールにも同じような長寿祝いがあると言うのは、どちらが源流なのでしょうか。喜寿(77歳)を祝う様になったと言うのは江戸時代からだそうですが、そこから考えると源流はネパールかも??それとも博打好きな男が多いと言われるネパールでは、やはり「ぞろ目」がいいのかな?何かネパールがより身近になったような気がした事も確か。

いずれの「ジャンクJanku」も肉を食べないとか、特別な食事やお菓子を食べるとか色々な儀式がある様です。長寿の為の何か食事療法的な意味があるのかも。

ジャンクの祝いを何度か見ましたが、何時もご夫婦が祝われていました。多分、ご主人か奥様のどちらかがジャンクの歳になると、共に祝うのでしょう。なかなかいい風習ですね。

子供の時の祝い、長寿の祝い等を見て来ると、それぞれ多少の違いはあるものの、文化の本質は何か深い所で繋がっているようです。それが人間と言う動物が持っているDNAなのでしょう。

狭くなる空(あなたの空は私の空)

ネパールで活動していた時、私の事務所は世界遺産に指定されていたパタン地域にありました。毎朝、私が事務所に通う道が、何か少し暗くなったなと思い、見上げると、空が狭くなっていました。その道は4階建のネワール建築が立ち並んでいた狭い路地です。もう「立ち並んでいた。」と言う過去形でしか言えません。

此の事務所に通っていた2年間に100年以上の歴史を持つ20以上のネワール様式の建物が、新しく鉄筋コンクリート構造の建物に改築されました。ネワール建築の住居は、通常4階建で、1階は水場と倉庫、2階は主に寝室、3階は居室、4階は台所・食堂という配置です。このしゃ(ネワール建築での生活については「動態保存の家に住む難しさ」という稿であらためてお伝えします。)

伝統的なネワール建築様式の住宅

古い歴史建造物の家は観光客にとっては素晴らしい景観ですが、そこに住み日々の営みを続けることは、近代的な生活を知っている住人にとっては不便極まりない状況です。経済力を持ったネワール建築の家主は、その家を壊しコンクリートの建物を新築します。

建て替えることは致し方ないとしても、問題はその建て方です。上階に行くほど徐々に道路にはね出して、居室を広くしているのです。当然、空は狭くなります。勿論、自分の敷地をはみ出して建物を立てる事は法律違反です。しかし街を、気を付けてみると、どこでも同じように道路に跳ねだして家を建てていました。

私の配属先「ラリトプール市都市開発部」は、新築の建物の建築許可を出す所ですが、建築指導もする部署です。その直ぐ傍の通りの空が狭くなっているのです。しかし、なぜか誰も何も言いません。ここネパールでは住宅規模程度では、新築工事完了後の完成検査、建物使用許可書発行、そこで初めて建物の使用が出来ると言う日本にあるような制度によるチェック機能が働いていません。ですから「公共の空間は俺の物」と言う事がまかり通ってしまうのです。

両側からせり出して、ついには通りの向かいの建物とくっついてしまい、アーケードになってしまうのではと、思ってしまいます。

 

ネパールの動物たちは幸福度世界一!

さて、本稿は、ネパールでのうのうと暮らしている「動物の幸福度」の話です。(当人?たちに言わせるとそれなりに心配事や悩みがあるかも??)

私の見る限り、「ネパールで暮らす動物のGNH(Gross National Happiness国民全体の幸福度)は、日本の動物たちより高いことは確実です」。それではその状況を幾つかお話ししましょう。勿論、動物のGNHを判断するに当たり、言語の問題もあり、それぞれの動物への聞き取り調査は行っておりません。あくまで私の主観的な観察から、確固たる信念をもって評価したものである事をお断りしておきます。

私の場所という風情の牛たち

ネパールは、お釈迦様が生まれた国で、その仏教を生み出したヒンドゥー教の国ですので、牛(Cow或いはBull)は神聖な動物とされており、車道であろうと歩道であろうとのんびりと横たわっています。当然、彼らのGNHの項目の中で、「3.教育」を除いて全く問題はないはずです。

ただ、我々日本人からすると、大いなる差別があるのではないかと思う部分があります。肉屋に行きますと堂々と牛肉は売っているのです。それはバッファローBuffalo(アメリカの平原を闊歩しているバイソンの事ではなく、アジア各国の水田で働いている水牛)の肉です。同じウシ科にもかかわらず彼ら水牛のGNHの項目の中で1.心理的幸福や8.生活水準、9.自分の時間の使い方、などは最低でしょう。

ネパールの街のいたる所で、牛だけではなく歩道には沢山の犬がドデンと横たわっているのを見ます。チン、ポメラニアン、プードルなどそんな可愛らしい犬ではなく堂々とした犬が、『私の世界はここだ!』とばかりに歩道のど真ん中でお眠り遊ばされています。その堂々たる風情、実に立派です。

堂々と歩道に寝そべる犬たち

そこを通る大勢の人々は、そこに犬が寝ていることを当然と考え、起こしたりもしないし勿論、蹴とばすなどという失礼な真似もせず、跨いで通って行きます。犬のおやつ用の乾燥した鶏のささ身を鼻先に投げても『こんなもの食えるのか?』といった感じで匂いをかぎ、それからおもむろに食べますが、決して尻尾を振って感謝の意を表すことはしません。如何にも『お前が落としたから食べたまでだ。』という感じ。

どうも彼らの理論としては、自分の平安にたいして人間が抵触しない限りは不可侵であるという事のようです。この不可侵条約を人間も含め周りの動物が守っているのでしょうか、彼らが吠えている声を殆ど聞いたことがありません。

私が住んでいたアパートの近くの大きな寺院にたくさんの猿が住んでおり時折、アパートの庭にまで出没していました。

サルがいても我関せずの犬たち

何時も朝になると、路上で猿にかぼちゃの種などの餌を近所の人が撒いているのですがその時、幾ら沢山の猿がいようと犬は「われ関せず」で、猿を見ても吠えもしません。

日本では「犬猿の仲」という言葉が有ったり、長野県では果樹園などの猿害を防ぐため犬を飼育・訓練したりしていますし、各地に犬と猿が争う昔話があります。

多分、ネパールの犬はそんなDNAを持っていないのでしょう。人間と犬との不可侵条約は、猿と犬の間にも結ばれているのでしょう。

しかし、猿と人間との間にはどうもこの不可侵条約は結ばれていないようです。私が近くの野菜市場で買った野菜を入れたビニール袋を見事、猿に取られたことがあります。周りに居たネパール人は、「よくあるんだ。」と言っていました。だからと言って、ネパールの人は猿を駆除するという事はありません。猿と人間との間の不可侵条約は、片務的なようです。一方、市場の肉屋や魚屋が低い台や地面に広げたシートの上に、商品を並べていても犬はそれを咥えて逃げるという事はありません。

こういう状況から判断すると、猿は勝手気ままにふるまい、追い払われもせずそのGNHは、相当高そうです。一方、ネパールでは多くの犬が狂犬病にかかっていると言われていますので、彼らのGNHで2.健康、3.教育、という項目では低い評価でしょうが、他は非常に高いと思われます。

私の毎日の通勤路に米、麦などを売っている穀物屋さんが在り、前を通るときは何時も若い店主が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいます。

米屋の店先でお米を啄ばむ鳩たち

所が何時も、店先の米袋の上にはハトや、雀の位の小鳥が数羽群がり、米をついばんでいるのです。すぐそばにいる店主に聞くと、『大した量でもないから。』というおおらかな返事。

お釈迦様が生まれた国だからなのでしょうか兎に角、ネパールの人は動物全般にわたって優しく接しているのです。これが「ネパールで暮らす動物のGNHは、日本の動物たちより高いことは確実です」と述べた所以です。

 

幸福度世界一?

ネパールの子供たち

ネパールの山向こうの国ブータンが幸福度世界一と話題になりましたが、幸福度というのは、どうやって算出するのかとふと不思議に思い調べました。

この『ブータンが幸福度世界一』という文章は、全くの私の間違いでした。普通、幸福度と言うと、世界幸福度報告(英語: World Happiness Report)で述べられているものです。

この世界幸福度報告は、国連の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する幸福度調査で、(1)GDP、(2)社会的支援(困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)、(3)健康寿命、(4)人生で何をするかの選択の自由度、(5)寛容さ、(6) 政府の腐敗の6つについて調査して国際的なランキングを示しています。

因みに今年の「世界幸福デー」の3月20日に国連が発表した2018世界幸福度では、調査対象155ヵ国中、日本は54位、ブータン97位、ネパールは101位です。私が10年以上暮らしたエジプトは122位でしたが、住みやすい国なのに??

下の図がその記事に添付されていた幸福度地図ですが、これは米ギャラップ社による幸福度調査図で、国連発表の物とは異なります。やはり北米、南米の国々の幸福度が高くなっています。(と言う事は、幸福度なんてものは、気持ちの持ちようかな??しかし、政府の腐敗度も評価対象になり、その点で日本は低い評価だとか、日本の政治家は嘘などつかず、勇気をもって、しっかりしてもらいたいなー。)

世界幸福度地図

所で『ブータン云々・・』というのは、1972年にブータン国王が提唱し、ブータン王国で初めて調査され、国の政策を決めるために活用されている国民総幸福量或いは国民総幸福感の尺度「国民全体の幸福度(GNH Gross National Happiness)」です。

GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つの構成要素からなる72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い決めるとの事。

因みにブータン国立研究所が2010年に行った調査では、ブータン国民の平均幸福度は6.1で、日本の6.6を下回っているのだそうです。(日本ってそんなに幸福な国だったんだ!)

日本の国内の幸福度ランキングというのも有って、一番は福井県だそうです。

共働き率が全国1位で経済的に安定し、3世代同居が多く、夫の家事・育児貢献度も高く、家庭環境が充実している福井型のライフスタイルが高評価につながった、と書かれていました。

昆虫食の昆虫捕獲方法

この阿寒平太の世界雑記では現在、ネパール編を書いていますが、先ごろミャンマーに行った時に実に興味深い昆虫食用の昆虫の捕獲方法を見ましたので、ネパール編を中断し、忘れないうちに皆様にご報告します。

昆虫食と聞くと、眉を顰(ひそ)める方もおられるのではないかと思いますがしかし、この稿は、昆虫食の味や調理についての報告ではありません。皆さんも常日頃からお世話になっているCookpadにも「イナゴの生姜入り佃煮」「イナゴ入りピーナッツ・バー」「炒め蜂の子」などのレシピが並んでいるように、日本にも昆虫食はあります。

昔から昆虫は身近なたんぱく源でした。最近流行りの自然食材を売りの六本木にあるレストランでは、前菜として「へぼ」呼ばれる蜂の子の甘露煮が出てくるそうです。また、最近の新聞に『食用を目的としたセミの幼虫などの捕獲はやめてください。』という看板が埼玉県川口市にある公園にこんな文言の看板が設置されたそうです。日本でも意外とブームなの??

タイでは、ゴキブリのフライ(あの姿そのままです!!)や赤蟻の卵(スープやオムレツ、サラダに使うそうです。)、アフリカやオーストラリアでは蛾の幼虫を食べるそうです。

これ以外にタガメ(水中を泳ぎ回っているアレです。タイ国)、サソリ(中国)、蛾の幼虫(アフリカ諸国)など多士済々。

さて、先日ミャンマーに行った時のことです。宿舎に入ると居間や寝室に興梠(コウロギ)がうようよ。浴室に入るとそこでもうようよ。踏み潰さないように注意しながら、ベッドにたどり着き早速、殺虫剤をシュー。何とか通路を確保。

森の中の民家

翌日の朝の散歩のとき、森の中に点在する木造の家の前にビニールのシートがかかっていました。コテージのような小屋が点在し、その家の周りには同じようにいくつものビニールが竹で組んだ高さ3ⅿ位の枠から垂れ下がっていました。

コオロギ捕獲装置

多分、夜の暑さしのぎに外で寝るときの夜露除けかなと思って、その話をミャンマー通の同僚に話すと虫取り装置との事。

捕獲されたコオロギ

翌朝、観察するとちゃんと虫を集めるための照明装置があり、ビニールのシートの底は袋状になっており捕獲した虫が逃げられないようになっていました。

村の中の朝市に行くと、売っていました、興梠の佃煮や生きているそのままのものも。宿舎の部屋は、たんぱく質がうようよだったんですね、もったいないことしたかな??

朝市で売っている茶色と黒の生のコオロギ

ビニールという透明で滑りやすく且つ、安価な材料を使った実に単純にして、機能的な素晴らしい捕獲装置。誰が考えたのですかね?? しかし、興梠だけではなく他の虫も入ると思いますが、どうやって分別するのだろうか?

思っている以上に高度な技術で、興梠だけが集まる波長のランプや底の袋の深さを興梠の飛翔高さ以上にしたり・・・・・。だけどMyanmarだからなぁ~??

ネパールの国勢調査で分かる人々の生活

レンガとコンクリートの建物

前稿で扱いましたネパールの国勢調査項目には我々、日本人にはなじみのない項目が並んでいます。
まず、建物についてですが、建物の基礎の種類(泥目地煉瓦、セメント目地煉瓦、杭使用RCC、木杭等)、外壁の種類を質問している項目があります。これは地域防災と耐震技術を担当していた筆者には実に有効な情報でした。只、公表されている単位がward(日本で言うと区)レベルで集計されており、もしその下のcommunity(日本で言うと町)レベルであればより詳しく実像に迫れるのだが、と少し残念でした。


次に日本と違う項目は、飲み水についての質問です。水道水、井戸水、雨水、河水などの項目に分かれ、井戸水の項では、蓋をしている井戸か、カバーをしていない井戸か細かく尋ねています。はるか昔から国を統治する者にとって民に十分な飲み水を与えるという事は国の安定のためにも、公衆衛生の為にも重要な調査項目です。(昔、ネパールの治世者がどうやって民衆に水を与えていたのかは、他の項でお知らせします。) ただ、私たち日本人は余りにも便利な環境の中で生活しているために、こんな単純で基本的な最も重要な項目を忘れがちです。

次に日本と異なる点は、料理に使う燃料の種別を尋ねています。薪、石油、プロパンガスなどの種別を尋ねていますが、少し変わっている物として、「牛の糞」や「その他」という項目もあります。ネパールだけでなく隣国のパキスタンでも、田舎に行くと燃料にするため丸く平らにした牛の糞を、石の上で乾かしているのをよく見かけました。「その他」という項目には、太陽熱利用も含まれますが、日本で考えるような太陽熱を電気に替えるというシステムではありません。これは、パラボラ・アンテナのような形の集光機で熱源を得て、煮炊きにその熱を使うものです。実に単純な仕組みで光が集まる真ん中に鋳鉄製の鍋を置いて直接温める仕組みでしたが意外に早くお湯が沸くそうです。

太陽熱調理器。集光機の中央に鍋が置かれているだけです。

燃料政策に失敗したアフリカ大陸の東側にあるマダガスカルでは、大部分の樹木が薪に使われ、丸裸になった土地や畑の土は川に流れ、川の河床が高くなり、水田地帯が沼に替わり、食料の米の生産量も落ちました。燃料問題は、国土を維持していくうえで重要な問題です。
ネパールの国土の幅は、ほぼ日本の本州と同じくらいですがネパールの場合、北の中国国境から南のインド国境まで最大標高差は8,000m以上あります。如何に国土全体の表土を保つための樹木保全が必要なのか、わかる気がします。

日本の国勢調査の項目は、世帯の人数、生年月、国籍や仕事の従事の有無、従事地や通学地などがありますが、住居については賃貸か持ち家か或いは一戸建てか共同住宅か、床面積などを訊いています。また、5年前にはどこに住んでいたかを尋ねる項目もあります。これらの項目を見ていますと、日本の国土の中で、人がどのように生活し、移動しているのかをダイナミックに把握しようという意図が判ってきます。
しかし、いま社会的に問題になっている女性の社会進出や、労働力の問題、所得格差、貧困の問題などをより細かく把握し、日本の将来を見据えた方針を確立のためには、国勢調査項目は見直す時期なのかもしれません。日本の政府が莫大な借金を抱えた今、従来の方法や考え方に疑問を持たなければならない時なのではないでしょうか。特に日本では、10年毎の国勢調査以外に5年毎にも調査(この調査の調査項目は17項目です。) をしていますので、より細かく実情の把握が出来るシステムになっています。
ネパールでも日本でも、国勢調査の項目の中に、都市部の一所帯の家族人数を調べている項目があります。日本の場合、全国平均で2.54人、それに対してネパールの数字は4.32人。最近、ネパールでも小家族化が進んでいると言われていますが、まだまだ何か昔ながらの家族の存在がある様で、ホッとしました。

兎に角、この国勢調査の数字を読んで行くと、私の下衆の勘繰りも満足させてくれますし、色々と興味が尽きません。また、色々と日本やそれ以外の国との比較をやり始めると面白い物が次々と出てきそうです。今後も、ネパールの国勢調査結果を読み解きながら面白い事が見つかりましたら、この「阿寒平太の世界雑記」に書いていきます。

 

ネパールの結婚年齢

私がネパールでの活動期間中に借りていたアパートの台所の食卓の上に、小さな可愛い人形が置かれていました。多分、以前の住人が置いて行ったものなのでしょう。幼い花嫁姿の女の子とタキシードの裾を捲りあげて、腕まくりして女の子を守る様に傍に付き添っている幼い花婿の男の子。其の様子が微笑ましく机の上に飾っておりましたが、ある時から「可哀想になあー」と見るようになってしまいました。なぜか・・・?

食卓の上に会った可愛い陶器人形

ネパールでは、2011年6月に10年に一度の国勢調査が実施されました。JICAでは、この国勢調査の実施や分析の専門家を派遣して支援しました。私のアパートの下階に、私の先輩でJICAのシニア海外ボランティアとして統計局に派遣され、このシステム作りから分析作業を支援しているK氏が住んでおり、この国勢調査について色々と伺いました。(彼は、長野オリンピックの運営コンピューターシステムを作った方だそうですが、JICAというのはすごい人を見つけてくるものですね。)
国勢調査については、国連から調査項目の指針は出ているのですが、国によって其の調査内容もその数も違っています。日本は22項目、アメリカは10項目、イギリスは40項目、そしてこのネパールは、27項目。国によって調査項目の数は大きく異なっていますし、その調査内容も国によって大きく異なっています。

このネパールの国勢調査の中に、日本でそんな質問をしようものなら顰蹙(ひんしゅく)をかいそうな項目があります。ズバリ、最初に結婚した年齢を聞いています。婚活と言う言葉が出来、結婚年齢が上昇している日本では、なかなか聞けない質問の様な気がしますが、同時にその質問の集計結果が統計的にどんな意味を持つのだろうかと、考えてしまいます。(多分、人口の将来予測かな?そんな訳ないよなー。)

ネパールの国勢調査の初婚年齢調査結果表

さて、その結果ですが、10歳未満から5歳毎に分けられ50歳以上まで、男性、女性それぞれの初婚年齢ごとの人数が記載されています。なんと10歳未満で結婚した男子は22,865人、女子は115,150人。初婚年齢が10歳から14歳までの男女合計は138,015人、10歳以下を含めると、既婚者の11.3%の男女が14歳以下で結婚しているのです。それも圧倒的に都市部より田舎の方が多いのです。(ちなみに初婚年齢50歳以上の男子は、3,480人、女子は1,606人と記載されています。)

正にこの微笑ましかった人形が現実味を持ち「可哀想になー!」となった次第。そのような目でこの人形を見ると、子供たちの目が笑っていないし、如何にも『まーだ!疲れちゃったよー、もう遊びに行ってもいいでしょー。』と言っている様にも思えます。

其の他、未婚者人数、一回或いは複数回結婚しているそれぞれの人数、再婚者人数、男女寡(やもめ)人数、離婚者人数が記録されています。しかし、質問された方は『私の勝手でしょう!』と言いたくなるだろうなー。

 

道楽者の弁

毎月その発売日(毎月5日と20日)が待ち遠しい私の愛読書「ビック・コミック・オリジナル」(マンガ雑誌)に「どうらく息子」(尾瀬あきら作)と言うマンガが掲載されていました。幼稚園の保育士をしていた青年が、落語に目覚め、真打を目指し前座から二枚目にまで苦労して成長するさまが描かれています。落語家と落語噺の世界が克明に描かれ、実に面白いお薦めのマンガです。

しかし、なぜ苦労しながら落語家の真打を目指す青年が道楽息子なのでしょう。落語の噺の道楽息子は、大店の跡取りが吉原の花魁にいれあげて勘当になるという筋でも描かれるように、余り良い意味合いでは使われていません。所謂、放蕩者です。放蕩とは、「酒色にふけって品行がおさまらないこと」です。

広辞苑では「道楽」の項に「道を解して自ら楽しむ意から」とあり、それほど悪い意味の言葉ではなさそうな表現から始まって、次に「本職以外の趣味などにふけり楽しむこと。また、その趣味。」と解釈が出て、その次に「放蕩者のすること」と書いてあります。 この「道を解して自ら楽しむ」、言い換えると「その道の真の楽しさにのめり込む」と言う意味で、この「どうらく息子」と言うマンガが描かれていると、私は解釈しています。

さて、この稿の「道楽」は、楽しさ一杯の「放蕩者のすること」と言う意味で書いております。昔、道楽者の行状は「呑む・打つ・買う」と言う事に決まっておりました。いわゆる酒色と博打です。この三つが、人に快楽や刺激を与える最たるものだからでしょう。一つではなく複数の楽しさと言う事も快楽や刺激を何倍にもする重要な要素です。

昔、ラスベガスのホテル・フラミンゴやスターダスト等の賭博場で遊んだ事があります。食事をしながら煌びやかなショーを見て、その後で賭博場に入ると、広大と言う表現が適切な煙草で煙っているフロアーにカードの台が無数にあり、バニー・ガールが飲み物を配っています。壁側にはガラス張りのバカラのゲーム室があり、上品な人種が高額なゲームを楽しんでいました。男性トイレに行くルートの空間には、映画女優なのではと見紛う程の美女たちがたむろし、声をかけてきます。まさに「呑む、打つ、買う」と言う放蕩道楽の極致という世界でした。

(最近、様々な反対意見がありながら成立した「カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法(カジノ法)」というので出来上がる賭博場は、どんなもんなんでしょうね??最終的にはラスベガス??)

今では重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産と言う何か高級な趣味の様になってしまいましたが、「お能」も「歌舞伎」も含めて大衆演芸、芸能は全て酒を飲みながら、食べながら、おしゃべりをしながら、そして権力者は美女を傍に侍らせ、芝居茶屋で役者と時を過ごすという幾つもの刺激を含んだ道楽でした。

四国 金毘羅さん金丸座

江戸城大奥の御年寄・絵島は先の将軍の墓参りの後、役者・生島新五郎と芝居茶屋で宴会(密会?)し、江戸城への帰参門限に遅れた事で起きる「絵島生島事件(1714年)」。歌舞伎や小説、映画の世界でも有名ですが、この事件のおかげで、1500人余の人々が、遠島、斬首ほかで罰せられ、江戸4座の芝居小屋の一つの山村座は廃座、芝居小屋は簡素な造りに改築させられ、そして夕方の公演は廃止になったそうです。この事件と比べると、どこかの国の大統領や首相や国会議員の艶話など些細な事と思うほどです。

さて、煙草好きにはパッケージに「健康に影響あり」と書かれようが、命に代えてもと言うくらいに煙草は大切な道楽です。しかし、今では禁煙の波に押されて肩身が狭くなりましたが、東日本大震災、国債の格下げと言う国難山積みのこのご時世に1本吸うごとに13円のたばこ税(マイルドセブンの場合)を納めて頂いている事を考えると、吸わない私は有難いと思ってしまいます。

エジプト・カイロの喫茶店で水煙草を楽しんでいる男

大相撲でも2005年初場所から全面禁煙になりましたが、それまでは相撲と煙草は切っても切れない仲と言うほど密接な関係でした。現在の国技館(1984竣工)を造るとき、「沢山の人が集まる室内では禁煙」(1962年施行の火災予防条例)と言う法律に対して、相撲協会は頑強に抵抗し国会議員まで動かし、人の楽しみとは何かと言う事を追求した結果が喫煙できる国技館でした。 相撲を見ながら酒を飲み、食事をし、タバコを飲み、時には相撲茶屋に行って遊ぶ、これが相撲という神事を民衆の側から見た演芸の世界でした。

なぜ、タバコの喫煙が相撲という楽しみとそれほど強く結び付いていたかと言いますと、相撲が始まり、そして盛んになった江戸時代は、喫煙率が非常に高かったからです。文政3年(1820年)に江戸の煙草屋三河屋弥平次が記した「狂歌煙草百首」には、喫煙率は97%以上と記載されているそうです。 極端な言い方をしますと老若男女、全て吸っていた。客が家に来た時、お茶を出す前にまずタバコ盆を客の前に出すのがあたりまえでした。ですから相撲と言う楽しみと喫煙と言う楽しみは切れなかった。(しかし、当時はキセルで現在のような両切りではありませんし、火の始末に非常に厳しかったので咥えタバコはなく、常にタバコ盆を傍において喫煙しました。)

お茶も道楽の一つですが、煙草と言う道楽とも結びついていました。裏千家も含めて各お茶の流派には、それぞれ煙草盆の火入れ(煙管に火をつける炭入れ)の炭のいけ方、灰のならし方が作法としてあり、待合や腰掛には煙草盆が必ずおかれていたそうです。亭主は小間の薄茶席、広間での席でも、煙草盆の配慮が必要と書かれています。

現在、「落語」の演芸場ではタバコは吸えませんが、座席の前に小さなテーブルが出せるようになっており、其処にビールと弁当を置いてのんびり見るのが落語の楽しみでしょうか。

日本だけでなく海外の演芸、芸能も同じように「呑む・打つ・買う」という事に強く結びついていました。オペラ鑑賞と言う道楽でも、まさにこの「呑む・打つ・買う」という事に強く配慮して客席が設計されていました。パリのガルニエのオペラハウスも、ミラノのスカラ座も、バルコニー席では食事もできましたし、退屈すればバルコニー席の後ろに長椅子を置いた小部屋もありました。

昔から「人の楽しみ・娯楽」と言うことは何かを我慢しながら何かを楽しむと言う事ではなかったのです。(勿論、それなりのスマートなルールはありましたが。)
私は演芸が芸術という範疇で語られようと、「人の楽しみ・娯楽」を与えるという意味から考えて、道楽者の三つの放蕩のうち、せめて「呑む(食う)」という事と共に演芸、芸能を楽しみたいと考えています。

 

Page 1 of 2

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén & Edited by ソフト工房MPC