江戸時代の江戸の明暦(1657年)の大火(振袖火事)

ラリトプール市のパタン地域は、地域そのものが世界遺産ですが、地域としての京都は世界遺産ではありません。京都市内或いは周辺にある17か所の社寺或いは城が世界遺産です。

京都は、1788年1月30日に発生した「天明の大火」で当時の京都1976町の73%、1424町が消失、37神社、201寺も同様に消失し、4日間にわたって燃え続け鎮火したのは2月2日早朝でした。この火事は放火だったそうです。

もし、多くの社寺や街並みが消失していなかったら、まさに今の京都の中心街そのものが世界遺産になっていたことでしょう。下の右図は、当時の京都市街地とその消失部分(赤線の内側)の図ですが、この範囲の中にある二条城だけが現在、世界遺産指定されています。左図の赤点は、京都の世界遺産配置です。

京都の天明の大火での消失部分と現在の世界遺産

この時、活躍したのが1722年に制度が確立した常火消(幕府直轄火消)です。出火の報を受け取ると直ぐに二条城(幕府の京都支配の出城)に駆けつけ、大規模な延焼を何とか食い止め、次に御所の消火へと向かいましたが、時遅く御所は全焼。この活躍で、二条城は世界遺産として残ったと言えます。

華麗な加賀鳶で有名な大名火消や、町火消のシステムも同じ頃に創設されました。江戸では明暦3年(1657年)のいわゆる「振袖火事」をはじめ度々の大火に見舞われまた、幕府のお膝元という事もあり、すでにこの時点では常火消、大名火消、町火消ともに機能していました。しかし、京都ではまだまだ町火消の活動は定着していなかったようです。
民間の消防組織である消防団が、江戸時代の町火消から発展して今の形になるまで400年という長い歳月が掛かっています。今、やっと始まったばかりのネパールの消防団が、日本の消防団のように活躍するのは何時の事なのでしょう?