阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

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ネパールの女性は強いのか?弱いのか?

さて今回の話題は、ネパールにおける「女性は強いのか?弱いのか?」という難しい問題です。

私は、2年間JICAのシニア海外ボランティアの活動の際に、女性の通訳や調査を行うスタッフと仕事をしました。彼女たちは私以上に流暢に英語を使いこなし、都会で生活しており欧米の女性と変わらないようにはっきりと物を言う人たちでしたが、彼女たちからネパールの女性の立場を判断するには早計のようです。女性の立場が強い、弱いというのは、その生活や人間関係の中ではっきりと表れるのでしょう。

ネパールで最初に開校されたトリブバン大学工学部を卒業した女性たち

上の写真の女性たちからは、女性が弱いなどと言うイメージは全くなく「明るく元気」という感じです。私が、ネパールで活動していた時のアシスタントもこの中の一人でした。英語が堪能で、1分間に40文字近いタイピング能力があり、CADも自在に操り、交渉能力もあり、実に素晴らしい女性でしたがしかし、次に紹介する幾つかの資料から、ネパールの女性の弱い立場についてもご理解されるでしょう。

ネパールでも昔の日本と同じように、「息子は家族を守り養う者」「娘は未来の他人の財産」という考えで、娘は初潮の前に嫁がせる方がよいと信じられていました。

『娘とはくれてやるものだ、

養ってくれる他の誰かに。

今日、娘を渡してしまって、

何とホッとしたことか、

負債もなく羽のように軽やかに』

これは【立ち上がるネパールの女性たち】という本に記載されている1600年前に書かれた詩だそうです。娘はお金がかかる前に嫁に出すというこの考え方は、今でも変わっていないそうです。

今は違法になっていますが、夫の死後、妻が火葬の炎に身を投げて後を追う「サティ」という習慣があり、今でもサティで火傷を負う女性は多いと言います。又、離婚の場合も、再婚できないように顔面を焼かれるという事も起きています。

民法に述べられている親の財産分与は、娘も息子と同様に求めることはできますが、娘は35歳にならないと受領できず、再婚した場合は残っている受領財産は父方の近い親戚に返さなくてはならないそうです。これも遺言がある場合で、遺言がない場合は相続権を持つのは、7世代以内の男系だそうです。

所がどっこい、ネパールでは国で定めた祝祭日は全部で30日ありますが女性のみという祝祭日は3日もあります。

その祝祭日には、女性たちは町内ごとにあるいは民族ごとに同じ綺麗な衣装に身を飾り町内を練り歩きます。それは、それは壮観でかつ、力強くもあります。

また、私がいた建築確認申請を受け付ける職場ではなぜか女性の施主による申請が非常に多く、朝早くから事務所の前にたむろしています。

又、国勢調査に、女性が固定資産の土地や家の所有権を持っている世帯数を調べている項目があります。世帯全数の中で、約20%で女性が家或いは土地の所有権を持っていると数字が出ていますが、嫁のうちは弱いが、腰を落ち着けると強いという意味ですかね??この数字は、ヒンドゥー教の社会の中でも予想外に女性の力が強いのかなと伺わせます。

家屋の所有登記者が男性か、女性かの国勢調査資料

やはりどの国も一緒なのですよ。男性と女性の力関係は、腰を落ち着けた後は。

ネパールという多民族・多宗教の国

ネパールの国勢調査の稿で、若い年代の結婚について書きましたが、この稿では、私たちのような島国に住んでいる民族にはあまり縁のない多民族・多宗教についてネパールの国勢調査に現れた民族、宗教をご紹介しましょう。

ネワール族の新年の時の民族衣装の少女たち

さてネパールという国ですが、皆さんご存知ようにヒンドゥー教の国で、カーストという特有の身分制度があります。ネパールのカーストには、バウン(司祭カースト)、チェトリ(王侯、軍人カースト)、カミ(鍛冶屋カースト)、ダマイ(仕立屋カースト)などがありますが、インドと違ってネパールのカーストは民族と結びついているので複雑になっています。しかし、カーストいうのは単に「生まれが同じ集団」という意味ですが実生活では、それぞれが独自の暦(暦については別稿でご紹介します。)を持っており、習慣も違うし、今でも女性が結婚する場合は様々な足かせとなっています。また、不可触民(ダリット)「カミ」は寺院に入ることや共同の井戸から水を飲むことなどが禁止されているそうです。(カーストは生まれ変わるまで付きまとう余計なものですが、インドでは最下層と言われるカーストの自殺者は他の層より多いという統計があります。現代インドにおける仏教の復興は、カースト差別の否定が主な原動力となっているそうです。)

国勢調査のカースト毎の人口(Population by caste/ethnicity)に記載されている表には、民族という言葉と同意語として集計していますが、なんとその数は129もあります。下の表がその抜粋です。

Table 20: by caste/ethnicity

  Caste/Ethnicity Population(人)
1 Chhetree 4,398,053
2 Brahman-Hill 3,226,903
・・・・ ・・・
127 Raute 618
128 Nurang 278
129 Kusunda 273

何と一番少ないカーストは、たった273人しかいません。このカーストを民族と呼ぶとしたら、本当に絶滅危惧種なのではと考えてしまします。人類は、動植物の場合ほど人間の絶滅危惧種に親切ではありませんので、将来どうなるのか心配です。

さらに驚くことにこの国勢調査の中に、祖語(Mother tongue)毎の人口集計がありますが、そこにはこの129のカーストのlistが並んでいました。ネパールは現在、七つの州の行政区画があり、その下部行政区画として全体で75郡に分かれています。昔、ネパールは此の数に匹敵するくらいの小国に分かれていました。そんな歴史の結果が129の言語、民族という結果なのでしょうか??

 

最初にネパールは、ヒンドゥー教の国と書きましたが、そうでもないのです。下の表は国勢調査の宗教ごとの人口です。この調査結果ではヒンドゥー教徒は81%だけで、19%は他の宗教なのです。この数字は、イスラム教徒とコプト教(原始キリスト教)の国と言われるエジプトで、コプト教徒の率はわずか3%という事と比較すると大きい数字です。ネパールには「仏教の日」や「クリスマス」という国の祝祭日ではない「宗教の祝日」があるのですが、他宗教の人も同じように休みます。これは他宗教の比率が高いから、宗教間の安定を図る意味もあるのかもしれません。(単に仕事をしなくていいと理由づけて休むのかも??)

Population by religion
Religion Persons %
Hindu 21,551,492 81.34
Buddhism 2,396,099 9.04
Islam 1,162,370 4.39
Kirat 807,169 3.05
Christianity 375,699 1.42
Prakriti 121,982 0.46
Bon 13,006 0.05
Jainism 3,214 0.01
Bahai 1,283 0.0048
Sikhism 609 0.0023
Undefined 61,581 0.2324
Total 26,494,504 100

(国勢調査の宗教ごとの人口)

日本のキリスト教徒は1%、仏教徒75%程度という資料がありますが、宗教的なお休みは全くありません。日本は戦後、宗教、信仰というものに対して正しい理解を避けて正面から向き合っていない事が一つの理由なのかもしれません。宗教とは言えませんが、正月は神社に、葬式は寺に、お盆には寺に、クリスマスには家族・友人でプレゼントを交換し、と言うようにイベントごとに宗教施設と気楽に付き合っているのが日本流なのかもしれません。

 

しかし、この様なネパールの状況を観察していくと、つくづく日本という海に囲まれた島で、殆ど単一の民族と言う感覚が持てる国に生まれた幸せをしみじみ感じます。ネパールは小王国が統一されたのちも王政でしたが、内戦が起こり共和制に生まれ替わりました。日本は単一の民族の国という共通認識の元に、我々の先祖は「王政」とは異なる「万世一系の天皇制」というストーリーを組み立て、平安時代から現代までも続いている国の安定を可能にしました。この先祖の知恵に対して本当に感謝しなければと思います。また、太平洋戦争当時、アメリカは日本を「菊と刀」に記されているように徹底的に日本民族の根本を分析し、この天皇制という制度は占領統治に絶対に必要だと判断し維持しましたが、その判断は今も有効に機能しています。

ネパールの長寿をお祝いする行事

この稿は、前稿の「ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで」の続きです。

ネパールでも、日本でも青年期を過ぎると、歳をとるまでこれと言った年齢を祝う儀式はありません。日本の長寿を祝う年齢(全て数え年)は、還暦(61歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、紀寿(百寿100歳)と100歳まで8回もありますが、此の年齢を祝うと言う文化をくれた中国と比べて、日本は格段に多い回数です。

中国では、「賀寿」と言い40歳から10年おきに祝う習慣があったそうですが、人間が長寿になるに従って上寿(100歳)中寿(80歳)下寿(60歳)を年齢の区切りとして祝う様になったとか。

ネパールのJankuの祝いの駕籠

此処、ネパールでは「ジャンク Janku」と言う長寿祝いが4回あります。「1回目ジャンク」は77歳7カ月7日目に祝います。「2回目ジャンク」は83歳或いは84歳の祝いで、僧侶が月を見て決めるとの事ですが詳細不明。ネパールの民族によっては、この2回目ジャンクだけを「Chaurasi puja」と言って大切に祝います。84歳と言う歳は1,000回の満月を含み、この歳に達すると八万四千回の生まれ変わりの後、人として生まれ変わると言われています。「3回目ジャンク」は88歳8カ月8日目に祝い、「4回目ジャンク」は99歳9カ月9日目に祝います。ネパールでは、このジャンクは家族だけでなく町内で祝い、家族を含め町内の若者たちがジャンクのお年寄りを、華やかに飾り立てた駕籠に乗せ、時には楽隊もつれ練り歩きます。家族によっては、記念のカレンダーを印刷して配ったりもします。

ジャンクの籠に乗る前にお化粧をして、家の中で祝いの儀式

ジャンクのお年寄りを載せ、練り歩く駕籠

日本の喜寿(77歳)から白寿(99歳)までは、それぞれ草書体や漢字の分解で長寿祝い名称にしており、日本特有と聞いていましたが、此処ネパールにも同じような長寿祝いがあると言うのは、どちらが源流なのでしょうか。喜寿(77歳)を祝う様になったと言うのは江戸時代からだそうですが、そこから考えると源流はネパールかも??それとも博打好きな男が多いと言われるネパールでは、やはり「ぞろ目」がいいのかな?何かネパールがより身近になったような気がした事も確か。

いずれの「ジャンクJanku」も肉を食べないとか、特別な食事やお菓子を食べるとか色々な儀式がある様です。長寿の為の何か食事療法的な意味があるのかも。

ジャンクの祝いを何度か見ましたが、何時もご夫婦が祝われていました。多分、ご主人か奥様のどちらかがジャンクの歳になると、共に祝うのでしょう。なかなかいい風習ですね。

子供の時の祝い、長寿の祝い等を見て来ると、それぞれ多少の違いはあるものの、文化の本質は何か深い所で繋がっているようです。それが人間と言う動物が持っているDNAなのでしょう。

建築違反もここまでくると、実に愉快!

前稿は、民間で行われている建築違反の話でしたが、今回はもっとすごい公共の建築違反の話です。

2011年の国勢調査結果でこのパタン地域の人口集中の状況を調べると、次のような結果になりました。下の図はラリトプール市全域の区(Ward)毎に人口密度の棒グラフを表しています。グラフの一番高い棒がパタン地域の中の世界遺産地域の人口密度を表しています。

そこの人口は、なんと世界の首都の中で一番人口密度が高いと言われているモルディブの首都マレの1.3倍の人口密度の高さです。東京の何と3倍の人口密度です。

City population Density(p/ha)(世界の色々な首都とパタンの人口密度比較)
Patan World heritage area(パタンの世界遺産地域) 459(人/ヘクタール)
Male(Maldivesモルジブの首都マレ) 350
Paris(Franceフランスの首都パリ) 206
Tokyo(Japan日本の東京) 144

こんな状況の中で、法律なんか何のその、少しでも居住面積を増やし、快適な生活を望むのは人情。重々その気持ちをおもんばかって、住宅のせり出しには目をつぶるとしてもこれはないでしょう!

国立競技場の観覧席がドカンと歩道の上だけではなく、車道の上まではみだしています。ここまでやると何か痛快、愉快、欣快!!

多分、ネパールでは法務省も国土交通省も文科省も厚労省も環境省も、日本の省庁のようなセクト意識がなく、仲良く意見を出し合い国の発展のために最善の案を出し合っているでしょうね。その結果、「いいよ、良いよ、設計を変るのは大変だろ。ちょこっと道路の上に出たって。気にしない、気にしない。」

(そんな調子で日本のモリ蕎麦もカケ蕎麦も、友だち同士、井戸の中で民間も含め仲良くやって、若い世代の教育を推進しようとした結果だったんでしょうね。)

国の施設がここまでするんだったら、俺の家なんかが敷地からちょこっと1mや2m跳ねだすぐらいなんていう事ないね、なんて言葉が出てくるね。私の勤めていた役所の連中が何も言わない訳が分かったような気がするね。

もともと歴史建造物のネワール建築は、庇を大きく道路にはねだしていましたから、はるか昔から敷地境界なんて小さなことを考えず、「世の中も個人も一心同体。世の中のものは私のもの、私のものはわたしのもの。」という広い気持ちできたのかな~~??

ほうれん草

ほうれん草

ほうれん草の写真から始まったからと言ってCOOKPADではありません。バター炒めなんで考えると、よだれが出てきますが料理サイトではありませんのでお間違いなく。ただ、この稿ではホウレン草について書きましょう。

私のPCにホウレンソウと打ち込むと、「菠薐草」と出てきます。全く知らない漢字で、この場合は「こいつもなかなか頭が良いな」と思いますが、時には「馬鹿だねー、こんな事も知らないのか!」なんて思う事や、「自分の立場をわきまえろ」と思う事も度々。

一番、気にくわないのがPCを点けた途端に、画面真ん中に『ようこそ』。これは、他人の訪問などを喜ぶ挨拶語(出典:広辞苑)ではないか!自分のPCをいじって居て、この言いぐさは何だ!お前、「俺の顔認証しただろう?」、だったら三つ指ついて「おかえりなさいませ。お疲れ様でした。肩でもお揉みいたしましょうか?」ぐらい、出来なくても言ってみろ!

何を話していたのでしたっけ?あっ、そうそう、菠薐草だ!どうも、感情に負けてしまい、失礼しました。さて、此の菠薐草の「菠薐(ハリョウ)」と言うのはネパールの地名だそうです。(出典:広辞苑第六版)

さてこのネパールの地名ハリョウHaryo或いはホリョウHoryoというのは何処なのか調べましたが、それと思しき所が見つかりません。私が働いていたラリトプール市内でその発音に似た、或いはその発音を含んだ所を上げると「Harisiddhi」「Harihar Vawan」等が見つかりましたが、ネパール全国となると?? ネパール語の『Ha Ryo』という発音は「lost(失う)」「Green(緑)」という言葉に近いそうですが、これに関係する地名なのかも??

話が飛びましたが、さてこのホウレン草というと野菜ですが、ビジネスの世界では別の重要な意味を持ちます。そうです、組織の中で「ホウレンソウ」というと業務における部下だけではなく組織で働く人の心得、或いは業務推進のポイントです。「報告(ホウコク)」、「連絡(レンラク)」、「相談(ソウダン)」を意味する事は皆さんご存じの通り。

 

ネパールで活動していた時の事です。私の仕事の上で、市場調査やCAD図作成などの業務をサポートしてくれるアシスタントのネパール人に、この話をしました。勿論、その時の状況は・・・、打合せと調査が目的で市役所に行かせた所、なかなか帰ってきません。当然、連絡もなし。『自分で自分を管理できなければ、単なる学生としか扱わないぞ!』と叱ってみたものの、これではいかんと、上記の話となりました。

この話の最中にふと、ネパール語でこんな言葉が見つからないかと相談すると、アシスタントが見つけてくれた言葉が『Beshar (बेशर ベシャール)』。意味は「Turmeric Powder (ターメリック)」で、日本でもカレーライスを作るときや、エスニック料理を作るときに普段からよく使う調味料です。

Be:         Bishleshan          बिश्लेशन               (Report 報告)

Sha:       Shampark           शम्पार्क                 (Contact 連絡)

R:           Raya                    राय                      (Discussion 討議)

何か部下との間で問題が起きたとき、くどくど言わなくても『Besharを忘れるな!』の一言で、大切なポイントを伝えられるというわけです。

しかし、辞書を見るとネパール語の場合、発音のアルファベット表記が辞書によりまちまちですので、まっ、頭の固い人たちからは色々と異論が出るかもしれません。それもまたおもしろい物で、そんな議論をしながら、このビジネス・ポイントが理解されたら良いのでは。

ついでに英語ではと、相談して決めたのは『Red coat』。丁度、アシスタントが着ていたのが、赤いロングのカーディガン。

Re:         Report   (報告)

Co:         Contact (連絡)

T:           Talk       (相談)

しかし、『Red coat忘れるな!』と言ったら「今日は黒のセーターです。」なんて言われるかな。何かもう少し適切な言葉がありそうにも思えます。皆さんもお考え下さい。

単なる言葉遊び、くだらないと言うなかれ!もともと「ホウレン草」もそんな言葉遊びなのですから。だけど言葉遊びも「ホウレン草忘れるなよ!」とか「ホウレン草思い出してくれよ!」等と仕事の世界で気楽に使えるようになると、遊びとも言えなくなります。

ネパールで仕事をされている皆さん!『Beshar (बेशर ベシャール)』を使って『Nabhulnu Beshar』(ベシャールを忘れるな!) と片言のネパール語を使いながら、プロジェクトが上手く進むようされてはいかがですか? (上手く進むかな??)

海外でお仕事をされている皆さん!そこの国の言葉で仕事上の「ほうれん草」を見つけて試されては如何??

マグマティ川に架かる珍しい産業遺産の橋

さて、前稿のマグマティ川がまだまだ清く澄んでいた時代に掛かった素晴らしい橋の話です。ヒマラヤ山脈もカトマンズ市の周りの山も、はるか昔に海から隆起した泥岩、頁岩、砂岩、石灰岩などから成る変性岩の層に覆われており、嘗てマグマティ川が刻んだ幾つものの洞窟や峡谷があります。その洞窟群公園(場所名はChovar Gorge) のすぐそばに実に優美な姿の吊り橋がマグマティ川に掛っていました。もともとつり橋は構造的に無駄のない架構で綺麗な形をしているのですが、此のつり橋は綺麗であると同時に風格がありました。

Chundra Gorge Bridge

今は通れませんが、観光年2011年の時は下の写真の様に人を通したようです。

通行時のChovar Gorge bridge

橋柱に銘板がありました。製作者はスコットランド・アバディーンのLouis Harper AMI.C.E。橋の名前はChundra Bridge、建設年は1903年6月、橋を掛けた人は大佐 Kumar Nursingh Rana Bahadur C.E.の監理のもとにネパール政府の技術者と記載されています。

橋製作者銘盤

橋施行者銘盤

建設管理者名の最後についているC.E.は多分、Chief Engineerの略だと思います。Kumar Nursingh Rana Bahadurは、ラナ家(Rana)の出身の誰かだと思われます。当時は、1846年の宮廷での権力闘争を利用し有力貴族を殺害し当時のラジェンドラ国王を追放して、傀儡スレンドラ国王を擁立し実権を掌握したラナ家独裁政権の時代(1846年から1951年)です。ラナ家は、江戸時代の朝廷・幕府の二重権力関係との類似性から、「ネパールの徳川幕府」と言われ、ラナ家歴代の首相は19発の礼砲で迎えられる地位に位置付けられていたとの事です。

ネパールの王家やこのラナ家には、何度も権力闘争のお家騒動がありましたが、1885年のラナ家の内紛の登場人物に、General Dhoj Nursingh Rana Bahadurという人物がいますが、Col. Kumar Nursingh Rana Bahadurも彼と血の繋がりを持つネパール軍に関係する人物でしょう。

Kumar Nursingh Rana Bahadurは、フランスのベルサイユ宮殿にも匹敵するという東洋一の宮殿(Singha Durbar これについては別の稿「アジアのベルサイユ宮殿」でお話しします。) を作った技術者としても名前が挙がっています。

さて、工学の分野で飯を食う私にとって重要な点は、製作者の方です。その当時、Louis Harperは有名なつり橋の設計者であり製作者で、製作工場を経営していました。名前の後のAMI.C.Eは、イギリス土木学会準会員(Associate Member of the Institution of Civil Engineers)の略です。彼の父親は、1880年代につり橋のパテントを取っています。Louis Harperはその当時イギリスの殆ど全てのつり橋の設計や製作を手掛けていました。しかし、彼の橋が何故、イギリスから遠く離れたこのネパールに?

ラナ家は、王家との婚姻を通じて、今でも経済面でネパールに対して大きな影響力を持っているそうです( Wikipedia)。この橋が架かった当時、東インド会社が実質的にインド全域を支配しており、ラナ家もその権力存続の為、東インド会社と密接に結びついていました。この橋が掛っている道は、東インド会社がチベットとの交易に必要な重要な通商ルートでした。多分この橋も東インド会社から依頼と言うより、命令でネパール軍の工兵隊が掛けたのでしょう。

丁度、この頃イギリスでは、銑鉄、錬鉄と言う初期的精錬から1856年の転炉の発明で、粘りがあり強く、錬鉄よりも加工し易い鋼鉄(はがね)を安定的に市場に供給していました。鋼鉄は、線路や建築構造物、造船等に使われ、当時のイギリスは鉄製品の世界の工場として重要な拠点でした。

此の橋がイギリスで製作されていた頃、日本海海戦(1905年5月27日~28日)で活躍する戦艦三笠(1902年引渡)、戦艦富士(1897年引渡)、戦艦朝日(1900年引渡)がイギリスの造船所で製作されていました。

戦艦春日

時代は正にアール・ヌーボーの時代、鉄骨を使って優美な建築が沢山作られた時代です。1989年のパリ万博で作られた、ガラスのドームのグラン・パレ、エッフェル塔、巨匠オットー・ワグナー設計のウィーンのカールス・プラッツ地下鉄駅(1901年)等は当時アール・ヌーボー時代の鉄骨の芸術を余すところなく表現している傑作です。しかし、そんな時代の中でケーブルを使ったつり橋は、全ての華燭を削そいだ「力学の美しさ」というような別の美しさを誇っていたと思います。しかし、此の橋は橋柱の先端には、アール・ヌーボー的な飾りをチラッと見せている、そんな風情が此の橋の風格を作っているのでしょう。

カールス・プラッツ地下鉄駅

色々と話が飛びますが、この優美な橋は、思いを色々な話題に連れて行ってくれます。

Louis Harperは、ネパールでもう一つ、今現在も使われているというSundari Footbridgeという橋を設計製作しているとの事で、探しましたが見つかりませんでした。

遠くイギリスからもたらされたこの素晴らしい産業遺産を、ネパールが大切に保存してくれる事を切に望んでやみません。

ヒンズー教の聖なる川の危機

ネパールの首都カトマンズに流れるマグマティ川は、源流から河口に至るまでヒンズー教の聖地が河岸に並ぶ聖なる川です。その川が危機に瀕しています。

ヒマラヤ山脈の南側には、山脈と並行して数本の襞(ひだ)が走っています。この襞の間にある首都カトマンズは、昔は水深500mのカトマンズ湖があった所です。そこに流れ込むマグマティ川が運んできた土砂で湖は浅くなり、ついに南側の襞が決壊し今のカトマンズ盆地が出来ました。マグマティ川はネパールを南下し、仏陀が悟りを開き、仏教の生まれた地でもあるインドのビハール州に入り、ガンジス川に合流した後バングラデシュに入り、ベンガル湾にそそいでいます。
首都カトマンズの東側、マグマティ川の河畔にはパシュパティナート(Pashupatinath)というネパール最大のヒンドゥー教寺院があり、そこには火葬場があり、遺灰はマグマティ川に流されます。マグマティ川が合流するインドのガンジス川河畔のヴァーラーナシー(Varanasi)も聖なる場所として、火葬が行われており、バングラデシュに入ると、その河畔のランガルバンドゥ(LangalBandh)もヒンドゥー教の聖地となっています。ガンジス川は上流から下流までのヒンドゥー教の聖地を結び、聖なる川とされています。

写真:Pashupatinath

しかし、カトマンズ市内を流れるマグマティ川は下水と化し、黒い川面が発する悪臭が問題になり、またインドではガンジス川の汚染は他の川の10倍にもなっていると問題になっています。何とか聖なる川を「清なる川」にするためには、「川の流れは、何ものをも飲み込み洗い流してくれる」という意識を変える事が必要なのでしょう。
また、「川を守るためには森を守らなくてはならない」というは鉄則ですが、ヒンドゥー教では「薪を焚く野焼きの火葬によって人は再生する」という思想があり、日本からの白灯油、都市ガス・液化石油ガスによる火葬の技術移転が進んでいないと言われています。ここで火葬技術と書きましたが、火葬には様々な技術が必要です。これは一例ですが、ヒンドゥー教の場合、お墓は持たず遺灰は川に流してしまいますが、日本の場合は遺骨をお骨揚げして、お墓に埋葬するという文化があるため、ただ高熱で火葬すると全て灰になってしまうので遺骨が残るように温度調整する火葬技術が必要になります。

近代的な火葬炉の裏側

人体の組成は、水分60%、タンパク質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%です。ですから、燃焼させるには、灯油の場合50ℓ以上の熱カロリーが必要です。しかし、体脂肪が多い場合は、必要熱量は下がってきます。200㎏以上の体重の遺体の火葬の際に体脂肪の燃焼で炉の中の温度が上昇し過ぎて火災になった例があるそうです。

これは、Wikipediaで拾った情報ですが『2012年竣工のソウル市火葬場は、巨大な美術館を併設し、最新のデザインの外観で、徹底的に環境問題に配慮し、火葬炉も最新鋭技術によりコンピューター制御され、遺骨はロボットが運ぶなど世界でも最新の設備を誇る施設』との事です。

他の稿でも書きましたが、中国国境の海抜8000mのヒマラヤ山脈に発するネパールの川は、日本の本州の幅ほどの距離をインド国境の海抜70mまで、急流となって山を削り、谷を削り駆け下ります。如何に森を守り、川を守るかは、ネパールの100年の計と言えるでしょう。色々な意識や考え方が変わって早く、聖なる川を守ることが出来るようになればと願っています。

音楽と心の平安・安全

人の生活の中で音楽は大切で、なくてはならないものだと言われ、音楽と性犯罪率は比例していると言われています。事実、パキスタンで仕事をした時、街中で聞こえる音というのは、一日5回モスクから流れるコーランの響きだけで、殆ど音楽と言う類の音は聞けない状態でした。妻子から遠く離れて、一緒に仕事をしていた若いスタッフは「危なくて妻子を残して来られない。」と両親や姉妹の所に預けてきていました。新聞でも連日、そんな犯罪記事が出ており、其の率が多い事を報じていました。

私が働いていたパキスタンの街は、首都イスラマバードからカラコルム街道を車で6時間ほど行った「バタグラム」という「バタグラム県」の県庁所在地で、行った当初はジャズやクラシック音楽のカセットテープやCDを売る店が何軒かありました。

バタグラム県県庁所在地バタグラム

所が川向うまでタリバンが勢力を伸ばしてきた頃には、早々に店を閉めてしまい、音楽の元は全くなくなってしまいました。そうこうするうちに、一晩で外国援助機関の事務所が3か所も一度に爆破され、私も慌てて逃げだしました。これも音楽がないという結果なのかもしれません。

所が同じイスラムの国のインドネシアは、世界で一番イスラム教徒が多いと言われていますが、街だけではなく、田舎でも色々なジャンルの音楽が流れ、若者たちは色々な楽器を奏で、女性の服装は、開放的な状態ですが性犯罪は少ないと聞きました。

インドネシア・シムルー島で楽器をもって歩いている若者

仏教の声楽で「声明(しょうみょう)」というものが有ります。梵唄(ぼんばい)とも言うそうで余り抑揚の無い音が延々と続きます。16世紀頃のグレゴリア聖歌が長崎の隠れキリシタンの島で「歌おらしょ」(「おらしょ」はラテン語やポルトガル語の「祈り」と言う意味の「Oratio」)として残っていますが、この旋律は、声明ともお遍路さんの御詠歌にも良く似ています。また、エジプトで古代キリスト教と言われる「コプト教」のミサの音楽も、ボスニアヘルツェゴビナの東方正教のミサの音楽もこれによく似ていました。祈りの旋律は、基本的には同じルーツの音階を使っているのでしょうか?

人の猛々しい心を平安に導く宗教と音楽は深く結び付いています。このネパールには、色々な音や音楽が生活の中で息づき、人の生活を豊かにしている様な気がしてなりません。休日の朝、そんな気持で音を聞いていました。
皆さんが外国旅行でどこかの町に行ったとき、気を付けて耳を澄ませてそこに音楽が流れているか聴いてください。もし、音楽が聞こえてきたらまあ、安全と思ってください。勿論、これは私の判断基準ですが。

 

カトマンズの音

カトマンズの朝は、暗いうちから色々な小鳥のさえずりから始まります。4月に入るとすぐにカッコーの声が聞こえ始め、普段から騒々しい街の印象とは違ってやはり、山に囲まれた小さな盆地なのだなと気付かせてくれます。

5時頃に街のそこかしこから鐘の音が聞こえてきます。通勤の途中に、道の傍らにある御堂の鐘をそれぞれの人が、それぞれの思いを込めて鳴らして通り過ぎて行くのです。人によって鳴らし方も様々で、遠慮しているように弱く、一つカーンと鳴らす人もいれば、カン、カン、カン、カンと大きく何回も、まるで競輪の最終コースの様に鳴らす人も。
これは力仕事をしている男で朝、奥さんとケンカしたかな、これは若い女性かな、など一つの鐘の音が様々な場面を贈ってくれます。

アパートの近くのお堂

お堂の中の鐘

次第に物うりの声が聞こえてきます。ビールの空き瓶回収、新聞紙の回収、ごみ集め、それから野菜や果物の売り声。
昔、日本でも色々な売り声が響いていました。いい声だなーと聞き惚れる様な声もありました。その頃は、自転車の後ろの荷台に木の箱を括り付けて、肉声の売り声でした。まさに「行商」でした。今では小型トラックに無粋なスピーカーの売り声。可愛らしい売り声に、つい声をかけると、車から降りてきたのは私と同じようなむさくるしい爺。いやですねー、売り声の詐欺は!

子供の頃に住んでいた九州の博多の朝は、必ず「おきゅうと~、おきゅうと!」という売り声で始まりました。「おきゅと」というのは、海藻色をした味は正に「ところてん」で博多のソールフードとも言われるものです。獲れたての魚も一緒に行商し、その場でさばいてくれるので冷蔵庫などない時代でしたが、新鮮な魚を毎日食べることが出来ました。何かそんなノスタルジア(「思郷病」森鴎外はこんな当て字をしていました。)に浸っていますと、このカトマンズの街の様々な売り声が大切に思えて、何時までも続いてくれたら思ってしまいます。
そのうちにアパートの北側にあるサッカー場の周辺を走るサッカー選手チームの声が聞こえ、次第に街のざわめきが大きくなります。街が「あー、良く寝た。さあ、動き始めるか!」と言っているように。
そのサッカー場でサッカーやクリケットの試合や、特に音楽関係のイベントが有る時は、色々な音楽が流れて来ます。殆どが西洋音楽、それも時にはジャズ、時にはポップス。どうもネパール特有の民族音楽については寡聞にして知りませんが、それと思しきものはあまり流れてきません。しかし、音楽が流れて来ると言うのは何か心が和んで休まります。

此の国では色々な所に細かな音や音楽が有ります。あまり大型の開発プロジェクトがないせいか、「槌音高き建設の響き」等と言う無粋で、遠慮会釈もない建設工事の音もしません。勿論、市街電車や鉄道の騒音もしませんが、一つだけ嫌な音が混じります。ピーピー、プープーと車やバイクが小癪な感じで泣き叫ぶ。
ネパールの運転手の技というか、手並みは素晴らしく、車間5㎝(いや、前後ではなく横の車との間隔ですよ。) でも何の躊躇もせず入り込んできます。しかしなんで、あんなにピーピー、プープー警笛を鳴らすのか不思議に思います。日本であんなに黒塗りベンツに向かって鳴らしたら、すぐにヤクザさんにきついお仕置きを受けるね、多分。
将来、電気自動運転の車ばかりになると、警笛などというものはいらなくなるので全く無音、これも何か薄気味悪いね。多分、そのときは鳥の囀りのように、ピーチク・パーチク、車同士が情報交換するかもしれないね。

 

ネパールの国勢調査で分かる人々の生活

レンガとコンクリートの建物

前稿で扱いましたネパールの国勢調査項目には我々、日本人にはなじみのない項目が並んでいます。
まず、建物についてですが、建物の基礎の種類(泥目地煉瓦、セメント目地煉瓦、杭使用RCC、木杭等)、外壁の種類を質問している項目があります。これは地域防災と耐震技術を担当していた筆者には実に有効な情報でした。只、公表されている単位がward(日本で言うと区)レベルで集計されており、もしその下のcommunity(日本で言うと町)レベルであればより詳しく実像に迫れるのだが、と少し残念でした。


次に日本と違う項目は、飲み水についての質問です。水道水、井戸水、雨水、河水などの項目に分かれ、井戸水の項では、蓋をしている井戸か、カバーをしていない井戸か細かく尋ねています。はるか昔から国を統治する者にとって民に十分な飲み水を与えるという事は国の安定のためにも、公衆衛生の為にも重要な調査項目です。(昔、ネパールの治世者がどうやって民衆に水を与えていたのかは、他の項でお知らせします。) ただ、私たち日本人は余りにも便利な環境の中で生活しているために、こんな単純で基本的な最も重要な項目を忘れがちです。

次に日本と異なる点は、料理に使う燃料の種別を尋ねています。薪、石油、プロパンガスなどの種別を尋ねていますが、少し変わっている物として、「牛の糞」や「その他」という項目もあります。ネパールだけでなく隣国のパキスタンでも、田舎に行くと燃料にするため丸く平らにした牛の糞を、石の上で乾かしているのをよく見かけました。「その他」という項目には、太陽熱利用も含まれますが、日本で考えるような太陽熱を電気に替えるというシステムではありません。これは、パラボラ・アンテナのような形の集光機で熱源を得て、煮炊きにその熱を使うものです。実に単純な仕組みで光が集まる真ん中に鋳鉄製の鍋を置いて直接温める仕組みでしたが意外に早くお湯が沸くそうです。

太陽熱調理器。集光機の中央に鍋が置かれているだけです。

燃料政策に失敗したアフリカ大陸の東側にあるマダガスカルでは、大部分の樹木が薪に使われ、丸裸になった土地や畑の土は川に流れ、川の河床が高くなり、水田地帯が沼に替わり、食料の米の生産量も落ちました。燃料問題は、国土を維持していくうえで重要な問題です。
ネパールの国土の幅は、ほぼ日本の本州と同じくらいですがネパールの場合、北の中国国境から南のインド国境まで最大標高差は8,000m以上あります。如何に国土全体の表土を保つための樹木保全が必要なのか、わかる気がします。

日本の国勢調査の項目は、世帯の人数、生年月、国籍や仕事の従事の有無、従事地や通学地などがありますが、住居については賃貸か持ち家か或いは一戸建てか共同住宅か、床面積などを訊いています。また、5年前にはどこに住んでいたかを尋ねる項目もあります。これらの項目を見ていますと、日本の国土の中で、人がどのように生活し、移動しているのかをダイナミックに把握しようという意図が判ってきます。
しかし、いま社会的に問題になっている女性の社会進出や、労働力の問題、所得格差、貧困の問題などをより細かく把握し、日本の将来を見据えた方針を確立のためには、国勢調査項目は見直す時期なのかもしれません。日本の政府が莫大な借金を抱えた今、従来の方法や考え方に疑問を持たなければならない時なのではないでしょうか。特に日本では、10年毎の国勢調査以外に5年毎にも調査(この調査の調査項目は17項目です。) をしていますので、より細かく実情の把握が出来るシステムになっています。
ネパールでも日本でも、国勢調査の項目の中に、都市部の一所帯の家族人数を調べている項目があります。日本の場合、全国平均で2.54人、それに対してネパールの数字は4.32人。最近、ネパールでも小家族化が進んでいると言われていますが、まだまだ何か昔ながらの家族の存在がある様で、ホッとしました。

兎に角、この国勢調査の数字を読んで行くと、私の下衆の勘繰りも満足させてくれますし、色々と興味が尽きません。また、色々と日本やそれ以外の国との比較をやり始めると面白い物が次々と出てきそうです。今後も、ネパールの国勢調査結果を読み解きながら面白い事が見つかりましたら、この「阿寒平太の世界雑記」に書いていきます。

 

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