阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

月: 2018年5月

阿寒平太の覗き見散歩・お酉さま(2)

一葉記念館から、さらに一ブロック進んで右折し30mほど進み、信号・飛不動前を左折しますと、すぐに飛不動尊(龍光山正宝院)の入口が目に入ります。「本尊の不動が一夜のうちに大峰山から飛んで帰って来た」事から、江戸時代では「道中安泰」、現代では特に「航空に携わる人々或いは飛行機の旅の安泰」を願う人々の参拝を集め、「飛行護」というお守りを授与しています。しかし、パイロットが本殿の前で熱心に祈り、お守りを買う姿は余り見たくはありませんね。飛行機への信頼感が揺らぎます。

此処を出て右に進むとすぐに五差路にでて、斜めに走る少し太い道を右に行くと、すぐに国際通りの信号・西徳寺前と言う交差点に出ます。道路を渡り少し三ノ輪方向に戻り、二つ目の角を左折すると、大音寺の入口です。大音寺は「たけくらべ」の真如が育った龍華寺のモデルと言われていますが、落語の「悋気の火の玉」の舞台としても知られています。「吉原の遊女上がりの妾と本妻の火の玉が大音寺の前でぶつかり合い、大音響を立て・・・」と言う話ですが、吉原、根岸の里と言うとこの手の落語が生まれます。

この大音寺の先に正燈寺という寺があります。この寺は360年以上前に京都の高尾から紅葉を移植し、江戸時代の名所絵図には紅葉寺として登場するほどの景勝地で、その見物を口実に吉原遊郭に遊ぶ客が多かった所です。『鬼平犯科帳』『御宿かわせみ』などの時代物には登場する寺で、江戸末期の地図では敷地も大きく大音寺、その南隣りの西徳寺などと接し、景勝地と言われる規模を誇りましたが、今は残念ながら規模も小さく紅葉は見られなくなってしまいました。

先ほどの信号・西徳寺前に西徳寺という寺があります。この寺は大正12年の関東大震災で本堂が全壊しましたが、昭和5年に参詣席が椅子席で、鉄筋コンクリート造の本堂が再建されました。時代を先取りした寺院建築史の一頁を開く建物で、建築にたずさわる者としては見ておきたい施設です。

西徳寺の山門を出て右方向50mほどに信号・鷲神社前があります。この信号を右折し最初の角を曲がると普茶料理・梵(ぼん、台東区竜泉1-2-11 TEL 03-3872-0375)があります。
普茶料理は約300年前、明の隠元禅師が来日した折より伝わる精進料理で、これが野菜だけで作る料理かと目を見張ります。多くの料理が次々に出てきますが、簡単にお腹に入って行き、ちっとももたれません。

梵のメニュー

 

この店は予約が必要ですが、今まで覗いた所の開館時間や参拝時間を考えると、食事を始める時間は、少し早目ですが5時だと適当でしょう。三ノ輪を2時に出発しゆっくり回っても3時間あれば十分です。1時間の食事の後、暗くなって鷲神社の明るく華やかに灯る店・店を回りたいものです。

この時間には、鷲神社の鳥居の前にはものすごい行列が出来、物々しく警察の警備車両が並び、さすが江戸から続く祭りとうならせる雰囲気です。大きい熊手、小さな熊手、おかめの面が付いたもの、枡がついたもの、形も大きさも色々。色々な光に華々しく浮かび上がる日本の色の洪水。
勿論、熊手の値段も色々で値切る交渉もそれぞれ。ただ、それも遊びのうち、熊手の原価計算をしても野暮というもの。値切って値が決まると、ご祝儀に元の値段以上に払って、しゃんしゃんと手締め。これが粋というもの。

さて、ゆっくりと酉の市を楽しんだ後、国際通りをさらに三ノ輪とは反対方向に進むと、信号・西浅草3丁目の先の右手に浅草ビューホテルがあります。此処まで鷲神社から15分も掛らないでしょう。つくばエクスプレス出入り口2番に近いビューホテルの角を右に入ると、「バーリー浅草」(台東区西浅草3-15-11、電話:03-3847-1066 営業時間:平日・土日祝日 18:00~1:00)というバーが左手にあります。
このバーは昭和63年創業の落ち着いた大人のバーという雰囲気で、今日の散歩を締めくくるにはふさわしい所です。『酒を飲む所で女の話は野暮というもの』という思いが脳裏をかすめますが、はかなくも24歳の短い人生を生きた明治文学の美女を語る事は許してくれそうです。

樋口一葉照影

ゆっくりと時間が過ぎるのを楽しみ、帰りは目の前の「国際通り」に埋まっている「つくばエクスプレス」の「浅草駅」も、銀座線「田原町」、「浅草」も至近距離です。

 

阿寒平太の覗き見散歩・お酉さま(1)

今回の「阿寒平太の覗き見散歩」は、お酉さまをハイライトにして、根岸(前に季語を付けるとすぐに俳句になると言う『根岸の里の侘び住まい』)を覗きながらの樋口一葉の足跡を訪ね、医食同源の精進料理、普茶(ふちゃ)料理を楽しみ、お酉さまの後は、大人の雰囲気のバーで酒を楽しむと言う散歩にご案内します。

散歩の出発点は三ノ輪です。三ノ輪には東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅と都電三ノ輪橋駅がありますが、お勧めは三ノ輪橋駅です。大塚駅前からこの都電に乗って三ノ輪橋までの風景は、他の車窓からの風景とはまるで違います。電車に触れんばかりに目の前を通り過ぎる生活風景は実に新鮮です。

都電三ノ輪橋駅から昭和通りに出て右折し、明治通りの交差点、信号・大関横町を過ぎて直進すると、信号・三ノ輪に出ます。(此処までは5分程度です。) ここの下が東京メトロ・三ノ輪駅で、ここからが今回の散歩の主題が点在する「国際通り」の起点です。

「国際通り」は、松竹の国際劇場(ああ、SKDレビュー!なんと陽気で、華やかで、素晴らしい世界だった事か!) があったことから付いた道路名です。今では、それも浅草ビューホテルになり、名前の根拠をなくし、周辺の商店街は「ビートストリート」と愛称をつけて町おこしの活動をしています。(2005年から浅草ではビート・フェスティバル開催。西の京都にも園部ビートフェスティバルと言う祭りがあります。)
さて、この国際通りの信号・三ノ輪から250m程の所に、信号・竜泉2丁目があり、そこを右折するとすぐに「千束稲荷神社」があります。ここは樋口一葉の「たけくらべ」の中で舞台となった所で、本殿に向かって左側に一葉の胸像があります。「たけくらべ」の中の少年少女たちは、何と生き生きと遊びまわり又、冷酷でありながらやさしい時を過ごしているのだろうかと、思い出しました。

明治の美女、樋口一葉

此処から、再び「国際通り」に出て、それを横切り3つ目の角を右折し、150mほど行くと左手に一葉記念館(台東区竜泉3-18-4、入館料一般:300円、開館時間:9時~16時30分:休館日:月曜日、祝日と重なる場合は翌日)があります。酉の市が開催される24日は、勤労感謝の日の翌日で休館となりますので、此処をこの散歩に組み入れる場合は、休館日と重ならない「酉の市」にこの散歩をしてください。
樋口一葉は、貧しさの打開を目指し小説を書き始めますが、彼女の文学者としての人生は、明治27年12月「大つごもり」の発表から「たけくらべ」の連載が完結する明治29年1月までの、わずか14カ月でした。明治29年11月23日に結核で24歳8カ月の短い人生を閉じますが、翌年には『一葉全集』が刊行されるほど、評価の高い文学者です。この「一葉記念館」には「たけくらべ」の草稿が展示されており、苦労して推敲している状態が判ります。

 

お酉さま

季節毎の祭り、芸能、花、時には花より団子などを追いながら、ぶらりと気楽に散歩すると言う「阿寒平太の覗き見散歩」を次回の稿からからご紹介します。

次回の稿では、浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われるお酉様(おとりさま)が主題ですので本稿ではお酉さまについて少しお話しします。

11月=霜月には「お酉様(おとりさま)」が2回或いは3回あります。その11月の酉(とり)の日に開かれるのが酉の市です。『もう、お酉さまか、すぐに師走だな。』と言う感覚を江戸時代の人は持っていました。2018年の酉の市は、3の酉まであり11月1,13,25日、は2019年11月8、20日です。

鷲宮(わしのみや)神社

酉の市は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際に戦勝祈願を、鷲宮神社(埼玉県久喜市)で行い、戦勝報告を11月の酉の日に足立区花畑にある大鷲神社(鷲大明神)で行ったことから、11月酉の日を鷲神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として定着したといわれています。

このような寺社の年中行事が、神仏混淆の民衆の信仰に根ざした商売繁盛を願う「市」と結びつき関東一円に広まり、さらに寺でも神社でもご本尊の御開帳などの寺社行事と結びついて、民衆の間に強く根差していったのでしょう。

ちなみに酉の市で売られる熊手は、日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをした際、社前の松に武具の熊手(戦場で敵を馬から引き落とし、盾や塀を引き倒し、高所に登る際に用いた。)を立て掛けたことから、熊手を縁起物とするとしたそうです。

武器として使われていた熊手

浅草の長国寺内の鷲(おおとり)大明神社は、江戸時代に妙見様と言われ、勝海舟やその他多くの人々の信仰を集めましたが、そのご本尊は鷲の背に乗った釈迦とされています。この鷲大明神社は、明治初年に出された神仏分離令で、長国寺から分離し鷲神社になりました。明治維新と言う大きな宗教革命により民衆の間に根付いた多くの祭りや信仰が消滅しましたが、その嵐に耐えて「酉の市」が残ってくれた事はうれしい事です。季節毎の祭り、芸能、花、時には花より団子などを追いながら、ぶらりと気楽に散歩すると言う「阿寒平太の覗き見散歩」を今回からご紹介します。

11月=霜月には「お酉様(おとりさま)」が2回或いは3回あります。その11月の酉(とり)の日に開かれるのが酉の市です。『もう、お酉さまか、すぐに師走だな。』と言う感覚を江戸時代の人は持っていました。お酉さまは霜月の酉の日に開催される関東の祭りで、もともとは神仏混淆の民衆の信仰に根ざした商売繁盛を願う「市」で、寺でも神社でもご本尊の御開帳や市が立ちます。

お酉様の賑わい

浅草の長国寺内の鷲(おおとり)大明神社は、江戸時代に妙見様と言われ、勝海舟やその他多くの人々の信仰を集めましたが、そのご本尊は鷲の背に乗った釈迦とされています。この鷲大明神社は、明治初年に出された神仏分離令で、長国寺から分離し鷲神社になりました。明治維新と言う大きな宗教革命により民衆の間に根付いた多くの祭りや信仰が消滅しましたが、その嵐に耐えて「酉の市」が残ってくれた事はうれしい事です。

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