阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

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ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで

日本のお食い初めで歯固め石を孫に食わそうとしている爺

年齢を祝うと言う事はどの国でも行われていますが、当然の事、それぞれの国で祝う年齢には違いがあります。日本では誕生から100日、所により110日や120日に祝う「お食い初め(おくいぞめ)」が年齢を祝う最初の行事でしょう。私は還暦の時は断固拒否しましたが、孫のお食い初めでは、立派に爺を演じました。

膳にはお頭付の魚、赤飯、おまけにお宮参りで頂いた「歯固め石」。食べられる物は全て親のお腹の中に。

このお食い初めの時に、赤ちゃんの思っている事を13年後の親子の会話の調子で再現すると・・・

赤ちゃん『なにー!石、食えってーのかよ。俺の祝いだ!、ちゃんと俺の好みの物、食わせろよ。お前らばっか、呑んで食って!俺、つきあってらんねーよ!』

父親『まあまあ、そうは言わず真似ごとだけだから。』

 

お食い初めは、ネパールではPassiniと言い、女の子は誕生から5カ月目、男の子は6カ月過ぎてから祝います。私のネパール人の友人は、親戚一同から単に仕事で付き合っている私までも含めて招待状を出し、大々的に祝っていました。しかし、色々な人から話を聞くと、基本は家族、親戚内の儀式の様で、私が招待されたのは多分、彼は最初の子供で舞い上がっていたからでしょうね。此の祝いはヒンドゥー教でも仏教でも同じようにするそうです。赤ちゃんに食べさせる物は甘いライス・プディングですから、日本の赤ちゃんの様な文句も言わないでしょう。

日本では、特に年齢を祝うという意味からは少し外れるかもしれませんが、お宮参り、男の子の場合は端午の節句、女の子の場合は桃の節句があります。ネパールでは、民族によってはハイハイからよちよち歩きの頃に、足やお尻に油を塗って足腰が強くなるように祈る行事があるそうです。

正確には年齢を祝うと言う事からは少し外れますが、ネワール族の女性は3回結婚の儀式をするそうです。最初の結婚の儀式の歳は、正確には特定されず、ほぼ5歳から9歳位の間に行われる「果物との結婚(ベル・ビバーハ Bell Vivah)」です。この時は寺からお坊さんが来て、その子の将来を占ってくれるそうです。次の結婚は15歳前までに行われる「太陽との結婚(グファ Gufa)」です。この時は12日間、光のささない部屋から一歩も出ず、トイレなどの時も一切、太陽にも男性にも顔を見られない様に頭巾をかぶって行くほどの徹底さ。3度目の結婚儀式が普通に言う伴侶となる男性との結婚式です。その時、先に結婚した果物及び太陽とは離婚しないの?と下世話な質問をすると、「その必要なし!」と言下に言われました。御免なさい。しかし、先の稿でも書きましたように、14歳ぐらいで結婚した女性の場合は、どうなるのでしょうね?(そこまでは聞き取りしませんでした。しかし、聞き取り相手はスタッフの女性たちでしたが、こんなことを根ほり葉ほりきく爺は、少しきもいという事を通りすぎて、きしょいと思ったかも?)

 

さて、ネワール族の男の子の場合はと言うと、これは大雑把で5歳から20歳くらいまでの間に「バラタ・バンダ Brata Banba」という多分、宗教的な通過儀礼の一種と思いますがあるそうです。お寺から坊さんが来て、男の子の髪の毛を一筋残して丸坊主にして弓を担がせて7歩、歩かせると言う、太古の狩りを想定した儀式だそうですが、此の儀式を10代になってやると言われると、ちょっと引けちゃうね。「俺、この歳で丸坊主かよー!此のど真ん中に一筋残さないで、いっそつるつるにしてくれよ、頼むよ!」という泣きが入るね。

 

日本でも、栃木県や幾つかの県の中学校では、中学2年または3年になると学校行事として「立志式」(りっししき)、「立春式」(りっしゅんしき)、「少年式」(しょうねんしき)、「元服式」(げんぷくしき)を行なっているとの事。

また農村では米俵約70kgを持てる(男子)、田植えを2反[20ha]の広さできる(女子)と労働力の一人前か試される式がいくつか残っています。

日本の成人式のように、外国でも青年期の通過儀礼は近代化された今でも変わらず昔ながらの儀式で祝う所が多いようです。この青年期の通過儀礼は、なかなか面白い題材ですので一度、情報を集めて何時かの稿で書いてみたいと思っています。

狭くなる空(あなたの空は私の空)

ネパールで活動していた時、私の事務所は世界遺産に指定されていたパタン地域にありました。毎朝、私が事務所に通う道が、何か少し暗くなったなと思い、見上げると、空が狭くなっていました。その道は4階建のネワール建築が立ち並んでいた狭い路地です。もう「立ち並んでいた。」と言う過去形でしか言えません。

此の事務所に通っていた2年間に100年以上の歴史を持つ20以上のネワール様式の建物が、新しく鉄筋コンクリート構造の建物に改築されました。ネワール建築の住居は、通常4階建で、1階は水場と倉庫、2階は主に寝室、3階は居室、4階は台所・食堂という配置です。このしゃ(ネワール建築での生活については「動態保存の家に住む難しさ」という稿であらためてお伝えします。)

伝統的なネワール建築様式の住宅

古い歴史建造物の家は観光客にとっては素晴らしい景観ですが、そこに住み日々の営みを続けることは、近代的な生活を知っている住人にとっては不便極まりない状況です。経済力を持ったネワール建築の家主は、その家を壊しコンクリートの建物を新築します。

建て替えることは致し方ないとしても、問題はその建て方です。上階に行くほど徐々に道路にはね出して、居室を広くしているのです。当然、空は狭くなります。勿論、自分の敷地をはみ出して建物を立てる事は法律違反です。しかし街を、気を付けてみると、どこでも同じように道路に跳ねだして家を建てていました。

私の配属先「ラリトプール市都市開発部」は、新築の建物の建築許可を出す所ですが、建築指導もする部署です。その直ぐ傍の通りの空が狭くなっているのです。しかし、なぜか誰も何も言いません。ここネパールでは住宅規模程度では、新築工事完了後の完成検査、建物使用許可書発行、そこで初めて建物の使用が出来ると言う日本にあるような制度によるチェック機能が働いていません。ですから「公共の空間は俺の物」と言う事がまかり通ってしまうのです。

両側からせり出して、ついには通りの向かいの建物とくっついてしまい、アーケードになってしまうのではと、思ってしまいます。

 

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