阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

日: 2018年7月21日

全て手作業による木造船の製作(スーダン国)

以下の写真はアフリカのスーダン国のナイル川に面する造船所での木造船の製作過程の写真です。電気による動力は全くなく、全て手作業ですが驚くほど素晴らしい曲線の船が出来あがって行きます。

船体の板を大きな丸太から挽き出している

次の写真は竜骨の部分です。丸木舟の船体部分を変化させ、大型化した船体の曲線に会うように削り出し細くして、竜骨に変化したと考えられています。

竜骨を船台?に据え付けた状態

次は竜骨から徐々に外板を取りつけている写真です。何のフレームもない状態で綺麗な曲線で外板が伸びて行きます。

竜骨から両側に伸びていく外板の状態

外板はそれぞれ大きな手製の船釘で斜めに固定されていき、外板どうしの継ぎ目には布が詰められ、浸水を防ぎますが、それも完全とは言えず浮かべている間は、常に小さな桶で水をかき出していました。下の写真では外板の継ぎ目ふさぎの作業で外板の繋ぎ方法が判ります。また、両舷側を繋いでいる梁の影が見えます。この船は3本の梁が両舷側を結んでいました。

船郭の防水作業。布を隙間に埋めている

次の2枚の写真は完成した船と進水式の様子です。進水式と言っても大勢でコロを使いながら、水辺まで運び、浮かべるだけです。浮かべて係留して水圧がかかった状態で、帆や甲板などの色々な艤装を行います。

完成した船体

進水式

このように色々な木造の素晴らしい造船技術を見ると、はるか太古から人が船を造る際の基本的な技術は、そんなに違いはないのかなとも思います。

現代の船は、船体の材料が木造から鉄、ガラス繊維や炭素鋼繊維により補強された樹脂に変化し、それにより竜骨がない船体構造に変化してきています。この変化は、3000年以上の船の歴史の中で、ほんのわずか100年に満たない短い期間で起こり、今も変化し続けています。今後どのように変化していくのか楽しみです。

 

丸木舟とそれからの発展

皆さん、丸木舟と言うと縄文時代か、それ以前の遥か昔の話と思われるのでは?ところが、世界の色々な国では今でも実際に作られ、使われており、下に掲載した写真のようにデザインも機能美に溢れ洗練されています。今回は、日本の丸木舟の歴史や、丸木舟の大型化の過程と、竜骨を持つ木造船の造船過程を紹介しながら、船の造船技術についてご紹介します。

インドネシアの丸木舟

日本での先史時代の丸木舟の発見例は200例ほどで、その分布は関東地方で150例ちかくあり、そのうち100例が千葉県で発見されています。千葉県多古町の遺跡からは、紀元前3500年頃(縄文時代前期)のムクノキの胴をくり抜いてつくった丸木舟が見つかっています。多くの例を占める単材モノコック構造の丸木舟は、一本の丸太を刳り抜いて作られるので、木のサイズで丸木舟の大きさは決まっていますが、古墳時代と推定される全長11.7mのクスノキの丸木舟など10mを超す大きなものも見つかっています。また、丸木舟でも単材だけではなく前後に単材を繋いだもの、左右に継いだものなど複合材(重木(おもき)と言います。) の丸木舟もあります。現在、日本で唯一作られ続けている丸木舟も複合材で製作されています。

島根県松江市美保関町の美保神社の神事に使われる諸手船(もろたぶね)と言われる丸木舟は、昔からの伝承により40年に一度作りかえられ、1940年及び1978年に造られたものが保管されています。これらの船はモミの大木を刳り抜いた部材を左右に継いだ複合部材の丸木舟で、その製造方法は木造和船の初源的なものと言われていますが、この船も元々は単材で作られていたと言われています。

この神事は、大国主命(おおくにぬしのみこと)が国譲りの意向を確認するため、美保関で釣りをしていた事代主命(ゑびすさま)を諸手船で迎えに行ったという故事にちなみ、毎年12月3日に行なわれます。美保神社から漕ぎだした2槽の丸木舟が対岸の客人社(まろうとしゃ)の下を折り返すと岸まで競争し、到着後は櫂(かい)で激しく海水を掛け合います。その船は、長さは6.6m、最も幅の広い部分で1.12m、その深さは51cmと、大きなものです。

上に掲載している丸木舟は、インドネシアのスマトラ島北西にあるシムルー島で使われている単材丸木舟です。実に細かな所までも刳り抜いていて機能美にあふれた美しい船です。人が座るコックピットの板(soleソール)の受け部分も綺麗に刳り残しています。

下の写真は丸木舟の舷側に波除板を取りつけ、船を深くしている写真です。この舷側板により丸木舟が大型化していきます。

船大工がものコックの丸木舟の舷側top-sideを高くしている

次の写真は舷側を高くし、エンジンを取りつけた丸木舟のスクリュー部分の写真です。舷側を高くする事でエンジンの荷重や、高速航行で生じる高い波の問題も解決しています。帆による航行が考えられた時点で既にこの改造方法は取り入れられていたと考えられています。

エンジンを取り付けた丸木舟のスクリュー部分

 

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