阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

カテゴリー: 海外 Page 1 of 4

ヒティー(Hiti)と言うネパールの歴史建造物

ネパールのカトマンズ盆地にある首都カトマンズ、その南に隣接しているラリトプール、東にあるバクタプールは、ユネスコに登録されている世界遺産です。それぞれに王宮があり、王宮を中心とした古い時代の都市は、周辺の川の流れから50ⅿほどの高台に広がっています。
為政者がまず一番に考えなければならない要素は、住民に対して如何に毎日の水を提供できるかです。これらの都市には、1500年前から今まで変わることなく使われているヒティーという水の供給施設があります。

今でも生活の中で使われているヒティー

建設時は400ものヒティーあったそうですが、今でも200以上のヒティーが市民の生活の中で使われています。その代表的な構造は、カトマンズ盆地の周辺の山から導いた地下水路網と、その地下水路網の高さに合わせて地面から数メートル下がった水の受け口からなっています。

小さなヒティーは夏になると排水を止めて子供たちのプールに。

全くのフリーメンテではありませんが、ローマの水道と同じように泥や落ち葉などを除去するシステムがあるそうです。メンテナンスはその地域の住民が行っていますが、このヒティーや井戸は、今でも住民組織の基本単位になっています。

日本で最初の水道施設は、徳川家康が、人々の居住には飲み水や生活水の確保が必要だと考え、1590年に小石川上水を作らせたのが最初です。それより1000年も前の作られた水道施設が今でも使われているという動態保存の現状も、ネパールのカトマンズ盆地の都市が世界遺産に選ばれた一つの理由なのです。

ラリトプール王宮の中にある王様専用のヒティー

生活の中で使われているので街を歩いていると、ふとしたところに小さなヒティーがあって運が良ければ若い女性が水浴びしているシーンにぶつかることもあります。

ラリトプール王宮の中にある王様専用のヒティー

ネパールは、昔はローマに匹敵するくらいの文明国だったというネパールの凄いことを紹介させていただきました。

建物のムクロ

連日、ウクライナの色々な都市の破壊された様子が報道される。そこには破壊された建物がこれでもかこれでもかと容赦なく映し出されています。

同じような光景を昔、バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナでも見ました。チトー大統領が三つの宗教と三つの民族の融和を図り、宗教を超え民族の壁を乗り越えて、一つの国として様々な人が当たり前のように生活していた。それが、何かの小さなきっかけで、隣家同士の銃撃戦の中で、それぞれの家族が傷つき、次第にそれぞれの宗教、民族ごとに争い始め、大きな内戦に進んでいってしまった。

このボスニア・ヘルツェゴビナで2年ほど仕事をしたとき『時の流れ』と『同化』と言うことを特に意識しました。この時は、内戦が終わってすでに9年ぐらいたっていましたが、いたるところに見捨てられた建物が建っていました。ただ、帰る家があっても隣人を信じることが出来ないため帰れないのです。

ウクライナが1991年にロシアから独立する以前、ソ連の民族融和政策によってお隣同士で住んでいたときもありました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって、大きく分類すると兄弟のような民族同士が信じられない状況になっています。ウクライナもボスニア・ヘルツェゴビナと同じように建物の残骸が累累と打ち捨てられているようになるかも知れません。

それは自然の中に自然でない建物が生まれ、その意に反して生命を絶たれ、自然がその浄化作用で自分の傷口を治していく過程は人の時の流れの速さでは測れないほどゆっくり流れていくという実感を覚えました。何時になったらこの屍は自然に帰るのだろうか、人の時間では計れない時間が必要なのではないかと。

建物がその生命を終わらせるとき、どのような儀式がふさわしいのか、全ての物に神仏が宿ると考えた昔はどうだったのか、知りたいものです。昔、井戸を埋めるときに儀式をしたのを覚えています。今は忘れ去られた解体の儀式、撤去の儀式があったのではないでしょうか。

人間の生活がほかの動物のそれと同じように自然なものと考えると、コルビジェの考えのように人間が建てる建物も、蟻が作る蟻塚やビーバーが作るダムのように自然の一部とも考えらます。最近、人間が作る建物も単に部品が処理しやすいもの、再生しやすいものと言う考えから、建物そのものが自然に同化しやすい物、自然の浄化作用に適合する物が求められるようになってきています。漁礁や鳥の住処のように人間が住まなくなった時は他の動物が住むと言う考えもするかもしれません。ボスニア・ヘルツェゴビナでも人の住まなくなった家に沢山の鳩が住んでいるのを見かけました。

自然も人間社会も異なるものをその体内に取り入れるとき、長い時間をかけてそれを異なっていないものに変えていきます。時にはそれを浄化といい、時にはそれを同化とも言い、長い時間を掛けながら確実に変化を進行させます。

人間は、民族とか国とか社会とかと言う業を背負って生きています。人間がその業という異物を自然に同化していくためにはどのくらいの時間が必要なのでしょうか???

ベルゲンからロシア国境までの船旅

投稿しているサイトでノルウェーのベルゲンの訪問記事を見て、今から20年以上前のことですが、ベルゲンからロシア国境のキルケネスまで6泊7日の船旅をしたことを思い出しました。

元々、この旅はオスロの市電を含めた交通システム調査が目的でしたが、その時に撮った実にうらやましい市電の写真です。両側の車道に挟まれた芝生の市電専用路。

さて本題の船旅ですが、この船旅は、『世界で一番美しい航路を走る』と言われていますが、観光航路ではなく普通の商業航路です。食事の際のドレスコードなど煩わしいいことは一切なく、気楽な船旅ですが、その代わり船室はそれほど大きくないので、持ち込んだバッグ類は、預かってもらえます。

今は船も観光客用に改装され、部屋も広くなっているようですが、航路は全く変わりなく、今での島々の人たちの生活の足となっているようです。

ベルゲン(北緯60度23分)を出港した船は、ノルウェーの西海岸にそって無数にある小さな島の港に、それぞれ1時間から2時間ほど寄港しながら2400㎞の航路を北上します。寄港する時間帯は、航行時間によって夜中であったり昼間だったり様々です。

この旅は、5月位の白夜のころでしたので、真夜中でも黄昏時ほどの明るさで、真夜中でも街歩きも出来ましたし、不思議なことに色々な店も開いていました。もう、温かな季節になっているはずでしたが、意外に寒く街でハンティングジャケットを買い、今でも愛用しています。

この船に10月以降の冬場に乗ると素晴らしいオーロラが見れるそうですが、夏場の乗船では全く気配もありませんでした。

航路図

 

乗船した船

 

一番上の階は乗客展望室になっています。大きな海を横断する船と違って沿岸を進むこの航路では、色とりどりの家が立ち並ぶ景色や切り立った絶壁など航行を楽しむ事が出来ます。

寄港の度に、船腹に開いた大きなスロープを下り上陸するのですが、そこに大きく出港時間が表示されており、それを目安に散策に出かけます。

ぶらりと船から降りて町の喫茶店に寄り、のんびりとお茶を飲んだり買物をしたりしました。時には町の傍まで近寄ってきたトナカイを見ることもありました。

所で船旅では、食事は料金に含まれています。ビュッフェ形式の食事ですが、その内容は実に様々で素晴らしく美味しく食事時間は一つの楽しみでした。

また、途中で船に積んであるランチ(小型モーターボート)で、フィーヨルド見学のオプションツアーもあり楽しみました。

途中の小さな港では、船が横づけ出来ないので、このランチが使われますが、これは船旅で友達になった人との別れのシーンです。

さて、この旅でのハイライトは、北緯66度33分を超えて北極圏に入るときに行われる船上での「北極祭り」です。ノルウェー神話の神様の仮面の人が、乗客の背中に氷水を注ぎ込むという単純なものですが、これで一挙に乗客同士が近しくなるような感じでした。

背中に氷水を注ぎ込まれる私

出港して7日目の朝に、ロシア国境まですぐというキルケネス(北緯69度43分37秒) に到着します。ロシア国境に行っても単に2m程度の金網のフェンスがあるくらいで、周りは雑草の野原という状態でした。

此処からオスロまでは飛行機で戻りましたが、実にのんびりした時間を楽しんだ船旅でした。

 

船旅には、その航路によって4種類の船旅があります。

  1. 一つの国の中の河や運河をめぐる船旅(ナイルクルーズ、黄河クルーズ、イギリス国内の船旅など)
  2. 幾つかの河や運河をめぐる船旅(一番長いものは、セーヌ川から黒海までの船旅)
  3. 一つの国の周りを巡る船旅(このノルウェー沿岸航路、日本沿岸の船旅など)
  4. 幾つかの国をめぐる船旅(世界一周航路、大西洋沿岸航路、地中海航路など)

 

別の機会にこの船旅についても、拙文をご拝読頂きたいと思っております。

海外に対するコロナ防疫体制と隔離施設の実体験報告

現在、ワクチン接種が連日ニュースになっていますが今回は、あまり話題にならない海外に対する防疫体制について、私の経験をもとにお話しします。

私は今、バングラデシュで地下鉄の設計のお手伝いをしておりますが、ワクチン接種の為、一時帰国いたしました。現在、日本政府はインド型コロナの蔓延地域からの飛行機の乗り入れを禁じており、東南アジアから直接、日本に入るフライトはありません。

そのため今回の帰国は、バングラデシュから、まず中東のカタールに5時間かけて西に飛び、そこから日本に10時間かけて東に飛ぶという、大回りルートで帰国しました。

成田到着後、4段階の検査があります。まず、出発前48時間以内のPCR検査結果報告書のチェック、その次は健康チェックシートなどの事前に作成した書類審査、次は各人のスマホにダウンロードした4種類の指定アプリを実際に立ち上げるまでのチェック、次に唾液による抗体検査或いはPCR検査が行われます。夜間にもかかわらずそれぞれの検査会場では、30人以上の若い女性たちが生き生きと働いており、コロナが生み出した新しい職場という感じです。さて、この検査で陰性と判定され、それから入国審査、通関で入国となりましたが、ここまで飛行機を降りてから3時間近くかかりました。

国によって隔離期間が決められており、バングラデシュは10日間隔離対象国で、空港からバスで、隔離施設成田東横インに運ばれました。(最近、6日間に変更されました。)

ホテルのロビーで、入所の注意・説明書と体温計が渡されましたが、書類には一切、チェックイン、チェックアウトという言葉はなく、入所、退所という言葉でした。3食と宿泊代はただ、しかし収容所なのだということをはっきりと認識した瞬間です。

部屋は、20m2以下の狭いシングルベッド室で、ベッド脇にデスクと大きな液晶TVがついています。衣類収納棚はなく、壁に衣類が掛けられるようになっています。

収容所室内のデスク写真

 

食事は、毎食弁当で、8時、11時、4時に「これから食事を配る。配り終わった時に知らせるので、それまで扉は明けるな。(勿論、もう少し丁寧な言葉で)」というアナウンスがあり、1時間後位に扉の外のドアノブにビニール袋に入った弁当が掛けられます。

ベッドメーキングはなし、自分で全てしなくてはなりません。浴室タオルの取り換えも電話で頼むと、ビニール袋に入れてドアノブにかけてくれます。

買物はこのホテルの1階にコンビニがあり、午前、午後共に2時間ぐらい開店し、その時間帯にコールセンターに買物を依頼すると、代金を入れるビニール袋がマグネットで張り付けられ、それにお金を入れて張り付けると、品物、お釣り、レシートを入れたビニール袋がドアノブにかけられます。

このコールセンターというのは、このホテルとは全く異なる組織で、この収容所の管理を厚労省から委託されている組織のようで、全く素人的&お役人的。ノンアルコールビールを頼んだら、ビールという名称がついているのでダメと言われてしまいました。ある日、「滞在者が千人を超えているので弁当の配布に時間がかかり遅くなる。」との放送がありました。普通でしたら、こんな言い訳じみた放送は、ホテルの印象を悪くするので一切ないでしょう。

収容所に入って3,6,10日目に唾で行うPCR検査があり、検体配布もドア越しにされ、検体提出の際は全身防護服に身を固めた検査官が名前を確認しながら受け取っていきます。部屋の扉の内側には唾が出やすいように、梅干しとレモンの写真が貼ってあります。

扉に貼ってある梅干しとレモンの写真

この収容所内では、一切禁酒です。収容者はコロナ感染被疑者の危険人物ですから、他の人が入室する事は一切ありません。今回の帰国便の乗り換え地であるドーハ空港では、コロナどこ吹く風で、色々ないい酒がすべて無税で買えます。そこで酒類を購入し、荷物に入れてこの収容所まで持ってきても、入所時の荷物検査はありませんので、身近に酒類を持った人たちは、禁酒への強い意志を試されることになります。

この収容所が、刑務所と異なる点は、労働時間も運動時間もないことです、私の滞在中の1日の平均歩数は300歩程度でした。兎に角、椅子に座ると全てが手の届く範囲にあり、歩く必要がないのです。正に非歩行による人間の足の退化実験です。

私は、幸いなことに急ぎの仕事があり、大きな液晶TVをPCモニターとして使い、毎日この良い環境で仕事が出来、いい時間を過ごせましたが、急ぎの用事も酒もない日々を過ごさなくてはならない人にはつらい留置生活だろうと思います。

こうして私は、長いお務めを終え、出所しました。

ネパールの女性は強いのか?弱いのか?

さて今回の話題は、ネパールにおける「女性は強いのか?弱いのか?」という難しい問題です。

私は、2年間JICAのシニア海外ボランティアの活動の際に、女性の通訳や調査を行うスタッフと仕事をしました。彼女たちは私以上に流暢に英語を使いこなし、都会で生活しており欧米の女性と変わらないようにはっきりと物を言う人たちでしたが、彼女たちからネパールの女性の立場を判断するには早計のようです。女性の立場が強い、弱いというのは、その生活や人間関係の中ではっきりと表れるのでしょう。

ネパールで最初に開校されたトリブバン大学工学部を卒業した女性たち

上の写真の女性たちからは、女性が弱いなどと言うイメージは全くなく「明るく元気」という感じです。私が、ネパールで活動していた時のアシスタントもこの中の一人でした。英語が堪能で、1分間に40文字近いタイピング能力があり、CADも自在に操り、交渉能力もあり、実に素晴らしい女性でしたがしかし、次に紹介する幾つかの資料から、ネパールの女性の弱い立場についてもご理解されるでしょう。

ネパールでも昔の日本と同じように、「息子は家族を守り養う者」「娘は未来の他人の財産」という考えで、娘は初潮の前に嫁がせる方がよいと信じられていました。

『娘とはくれてやるものだ、

養ってくれる他の誰かに。

今日、娘を渡してしまって、

何とホッとしたことか、

負債もなく羽のように軽やかに』

これは【立ち上がるネパールの女性たち】という本に記載されている1600年前に書かれた詩だそうです。娘はお金がかかる前に嫁に出すというこの考え方は、今でも変わっていないそうです。

今は違法になっていますが、夫の死後、妻が火葬の炎に身を投げて後を追う「サティ」という習慣があり、今でもサティで火傷を負う女性は多いと言います。又、離婚の場合も、再婚できないように顔面を焼かれるという事も起きています。

民法に述べられている親の財産分与は、娘も息子と同様に求めることはできますが、娘は35歳にならないと受領できず、再婚した場合は残っている受領財産は父方の近い親戚に返さなくてはならないそうです。これも遺言がある場合で、遺言がない場合は相続権を持つのは、7世代以内の男系だそうです。

所がどっこい、ネパールでは国で定めた祝祭日は全部で30日ありますが女性のみという祝祭日は3日もあります。

その祝祭日には、女性たちは町内ごとにあるいは民族ごとに同じ綺麗な衣装に身を飾り町内を練り歩きます。それは、それは壮観でかつ、力強くもあります。

また、私がいた建築確認申請を受け付ける職場ではなぜか女性の施主による申請が非常に多く、朝早くから事務所の前にたむろしています。

又、国勢調査に、女性が固定資産の土地や家の所有権を持っている世帯数を調べている項目があります。世帯全数の中で、約20%で女性が家或いは土地の所有権を持っていると数字が出ていますが、嫁のうちは弱いが、腰を落ち着けると強いという意味ですかね??この数字は、ヒンドゥー教の社会の中でも予想外に女性の力が強いのかなと伺わせます。

家屋の所有登記者が男性か、女性かの国勢調査資料

やはりどの国も一緒なのですよ。男性と女性の力関係は、腰を落ち着けた後は。

ネパールという多民族・多宗教の国

ネパールの国勢調査の稿で、若い年代の結婚について書きましたが、この稿では、私たちのような島国に住んでいる民族にはあまり縁のない多民族・多宗教についてネパールの国勢調査に現れた民族、宗教をご紹介しましょう。

ネワール族の新年の時の民族衣装の少女たち

さてネパールという国ですが、皆さんご存知ようにヒンドゥー教の国で、カーストという特有の身分制度があります。ネパールのカーストには、バウン(司祭カースト)、チェトリ(王侯、軍人カースト)、カミ(鍛冶屋カースト)、ダマイ(仕立屋カースト)などがありますが、インドと違ってネパールのカーストは民族と結びついているので複雑になっています。しかし、カーストいうのは単に「生まれが同じ集団」という意味ですが実生活では、それぞれが独自の暦(暦については別稿でご紹介します。)を持っており、習慣も違うし、今でも女性が結婚する場合は様々な足かせとなっています。また、不可触民(ダリット)「カミ」は寺院に入ることや共同の井戸から水を飲むことなどが禁止されているそうです。(カーストは生まれ変わるまで付きまとう余計なものですが、インドでは最下層と言われるカーストの自殺者は他の層より多いという統計があります。現代インドにおける仏教の復興は、カースト差別の否定が主な原動力となっているそうです。)

国勢調査のカースト毎の人口(Population by caste/ethnicity)に記載されている表には、民族という言葉と同意語として集計していますが、なんとその数は129もあります。下の表がその抜粋です。

Table 20: by caste/ethnicity

  Caste/Ethnicity Population(人)
1 Chhetree 4,398,053
2 Brahman-Hill 3,226,903
・・・・ ・・・
127 Raute 618
128 Nurang 278
129 Kusunda 273

何と一番少ないカーストは、たった273人しかいません。このカーストを民族と呼ぶとしたら、本当に絶滅危惧種なのではと考えてしまします。人類は、動植物の場合ほど人間の絶滅危惧種に親切ではありませんので、将来どうなるのか心配です。

さらに驚くことにこの国勢調査の中に、祖語(Mother tongue)毎の人口集計がありますが、そこにはこの129のカーストのlistが並んでいました。ネパールは現在、七つの州の行政区画があり、その下部行政区画として全体で75郡に分かれています。昔、ネパールは此の数に匹敵するくらいの小国に分かれていました。そんな歴史の結果が129の言語、民族という結果なのでしょうか??

 

最初にネパールは、ヒンドゥー教の国と書きましたが、そうでもないのです。下の表は国勢調査の宗教ごとの人口です。この調査結果ではヒンドゥー教徒は81%だけで、19%は他の宗教なのです。この数字は、イスラム教徒とコプト教(原始キリスト教)の国と言われるエジプトで、コプト教徒の率はわずか3%という事と比較すると大きい数字です。ネパールには「仏教の日」や「クリスマス」という国の祝祭日ではない「宗教の祝日」があるのですが、他宗教の人も同じように休みます。これは他宗教の比率が高いから、宗教間の安定を図る意味もあるのかもしれません。(単に仕事をしなくていいと理由づけて休むのかも??)

Population by religion
Religion Persons %
Hindu 21,551,492 81.34
Buddhism 2,396,099 9.04
Islam 1,162,370 4.39
Kirat 807,169 3.05
Christianity 375,699 1.42
Prakriti 121,982 0.46
Bon 13,006 0.05
Jainism 3,214 0.01
Bahai 1,283 0.0048
Sikhism 609 0.0023
Undefined 61,581 0.2324
Total 26,494,504 100

(国勢調査の宗教ごとの人口)

日本のキリスト教徒は1%、仏教徒75%程度という資料がありますが、宗教的なお休みは全くありません。日本は戦後、宗教、信仰というものに対して正しい理解を避けて正面から向き合っていない事が一つの理由なのかもしれません。宗教とは言えませんが、正月は神社に、葬式は寺に、お盆には寺に、クリスマスには家族・友人でプレゼントを交換し、と言うようにイベントごとに宗教施設と気楽に付き合っているのが日本流なのかもしれません。

 

しかし、この様なネパールの状況を観察していくと、つくづく日本という海に囲まれた島で、殆ど単一の民族と言う感覚が持てる国に生まれた幸せをしみじみ感じます。ネパールは小王国が統一されたのちも王政でしたが、内戦が起こり共和制に生まれ替わりました。日本は単一の民族の国という共通認識の元に、我々の先祖は「王政」とは異なる「万世一系の天皇制」というストーリーを組み立て、平安時代から現代までも続いている国の安定を可能にしました。この先祖の知恵に対して本当に感謝しなければと思います。また、太平洋戦争当時、アメリカは日本を「菊と刀」に記されているように徹底的に日本民族の根本を分析し、この天皇制という制度は占領統治に絶対に必要だと判断し維持しましたが、その判断は今も有効に機能しています。

ネパールの長寿をお祝いする行事

この稿は、前稿の「ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで」の続きです。

ネパールでも、日本でも青年期を過ぎると、歳をとるまでこれと言った年齢を祝う儀式はありません。日本の長寿を祝う年齢(全て数え年)は、還暦(61歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、紀寿(百寿100歳)と100歳まで8回もありますが、此の年齢を祝うと言う文化をくれた中国と比べて、日本は格段に多い回数です。

中国では、「賀寿」と言い40歳から10年おきに祝う習慣があったそうですが、人間が長寿になるに従って上寿(100歳)中寿(80歳)下寿(60歳)を年齢の区切りとして祝う様になったとか。

ネパールのJankuの祝いの駕籠

此処、ネパールでは「ジャンク Janku」と言う長寿祝いが4回あります。「1回目ジャンク」は77歳7カ月7日目に祝います。「2回目ジャンク」は83歳或いは84歳の祝いで、僧侶が月を見て決めるとの事ですが詳細不明。ネパールの民族によっては、この2回目ジャンクだけを「Chaurasi puja」と言って大切に祝います。84歳と言う歳は1,000回の満月を含み、この歳に達すると八万四千回の生まれ変わりの後、人として生まれ変わると言われています。「3回目ジャンク」は88歳8カ月8日目に祝い、「4回目ジャンク」は99歳9カ月9日目に祝います。ネパールでは、このジャンクは家族だけでなく町内で祝い、家族を含め町内の若者たちがジャンクのお年寄りを、華やかに飾り立てた駕籠に乗せ、時には楽隊もつれ練り歩きます。家族によっては、記念のカレンダーを印刷して配ったりもします。

ジャンクの籠に乗る前にお化粧をして、家の中で祝いの儀式

ジャンクのお年寄りを載せ、練り歩く駕籠

日本の喜寿(77歳)から白寿(99歳)までは、それぞれ草書体や漢字の分解で長寿祝い名称にしており、日本特有と聞いていましたが、此処ネパールにも同じような長寿祝いがあると言うのは、どちらが源流なのでしょうか。喜寿(77歳)を祝う様になったと言うのは江戸時代からだそうですが、そこから考えると源流はネパールかも??それとも博打好きな男が多いと言われるネパールでは、やはり「ぞろ目」がいいのかな?何かネパールがより身近になったような気がした事も確か。

いずれの「ジャンクJanku」も肉を食べないとか、特別な食事やお菓子を食べるとか色々な儀式がある様です。長寿の為の何か食事療法的な意味があるのかも。

ジャンクの祝いを何度か見ましたが、何時もご夫婦が祝われていました。多分、ご主人か奥様のどちらかがジャンクの歳になると、共に祝うのでしょう。なかなかいい風習ですね。

子供の時の祝い、長寿の祝い等を見て来ると、それぞれ多少の違いはあるものの、文化の本質は何か深い所で繋がっているようです。それが人間と言う動物が持っているDNAなのでしょう。

建築違反もここまでくると、実に愉快!

前稿は、民間で行われている建築違反の話でしたが、今回はもっとすごい公共の建築違反の話です。

2011年の国勢調査結果でこのパタン地域の人口集中の状況を調べると、次のような結果になりました。下の図はラリトプール市全域の区(Ward)毎に人口密度の棒グラフを表しています。グラフの一番高い棒がパタン地域の中の世界遺産地域の人口密度を表しています。

そこの人口は、なんと世界の首都の中で一番人口密度が高いと言われているモルディブの首都マレの1.3倍の人口密度の高さです。東京の何と3倍の人口密度です。

City population Density(p/ha)(世界の色々な首都とパタンの人口密度比較)
Patan World heritage area(パタンの世界遺産地域) 459(人/ヘクタール)
Male(Maldivesモルジブの首都マレ) 350
Paris(Franceフランスの首都パリ) 206
Tokyo(Japan日本の東京) 144

こんな状況の中で、法律なんか何のその、少しでも居住面積を増やし、快適な生活を望むのは人情。重々その気持ちをおもんばかって、住宅のせり出しには目をつぶるとしてもこれはないでしょう!

国立競技場の観覧席がドカンと歩道の上だけではなく、車道の上まではみだしています。ここまでやると何か痛快、愉快、欣快!!

多分、ネパールでは法務省も国土交通省も文科省も厚労省も環境省も、日本の省庁のようなセクト意識がなく、仲良く意見を出し合い国の発展のために最善の案を出し合っているでしょうね。その結果、「いいよ、良いよ、設計を変るのは大変だろ。ちょこっと道路の上に出たって。気にしない、気にしない。」

(そんな調子で日本のモリ蕎麦もカケ蕎麦も、友だち同士、井戸の中で民間も含め仲良くやって、若い世代の教育を推進しようとした結果だったんでしょうね。)

国の施設がここまでするんだったら、俺の家なんかが敷地からちょこっと1mや2m跳ねだすぐらいなんていう事ないね、なんて言葉が出てくるね。私の勤めていた役所の連中が何も言わない訳が分かったような気がするね。

もともと歴史建造物のネワール建築は、庇を大きく道路にはねだしていましたから、はるか昔から敷地境界なんて小さなことを考えず、「世の中も個人も一心同体。世の中のものは私のもの、私のものはわたしのもの。」という広い気持ちできたのかな~~??

狭くなる空(あなたの空は私の空)

ネパールで活動していた時、私の事務所は世界遺産に指定されていたパタン地域にありました。毎朝、私が事務所に通う道が、何か少し暗くなったなと思い、見上げると、空が狭くなっていました。その道は4階建のネワール建築が立ち並んでいた狭い路地です。もう「立ち並んでいた。」と言う過去形でしか言えません。

此の事務所に通っていた2年間に100年以上の歴史を持つ20以上のネワール様式の建物が、新しく鉄筋コンクリート構造の建物に改築されました。ネワール建築の住居は、通常4階建で、1階は水場と倉庫、2階は主に寝室、3階は居室、4階は台所・食堂という配置です。このしゃ(ネワール建築での生活については「動態保存の家に住む難しさ」という稿であらためてお伝えします。)

伝統的なネワール建築様式の住宅

古い歴史建造物の家は観光客にとっては素晴らしい景観ですが、そこに住み日々の営みを続けることは、近代的な生活を知っている住人にとっては不便極まりない状況です。経済力を持ったネワール建築の家主は、その家を壊しコンクリートの建物を新築します。

建て替えることは致し方ないとしても、問題はその建て方です。上階に行くほど徐々に道路にはね出して、居室を広くしているのです。当然、空は狭くなります。勿論、自分の敷地をはみ出して建物を立てる事は法律違反です。しかし街を、気を付けてみると、どこでも同じように道路に跳ねだして家を建てていました。

私の配属先「ラリトプール市都市開発部」は、新築の建物の建築許可を出す所ですが、建築指導もする部署です。その直ぐ傍の通りの空が狭くなっているのです。しかし、なぜか誰も何も言いません。ここネパールでは住宅規模程度では、新築工事完了後の完成検査、建物使用許可書発行、そこで初めて建物の使用が出来ると言う日本にあるような制度によるチェック機能が働いていません。ですから「公共の空間は俺の物」と言う事がまかり通ってしまうのです。

両側からせり出して、ついには通りの向かいの建物とくっついてしまい、アーケードになってしまうのではと、思ってしまいます。

 

ほうれん草

ほうれん草

ほうれん草の写真から始まったからと言ってCOOKPADではありません。バター炒めなんで考えると、よだれが出てきますが料理サイトではありませんのでお間違いなく。ただ、この稿ではホウレン草について書きましょう。

私のPCにホウレンソウと打ち込むと、「菠薐草」と出てきます。全く知らない漢字で、この場合は「こいつもなかなか頭が良いな」と思いますが、時には「馬鹿だねー、こんな事も知らないのか!」なんて思う事や、「自分の立場をわきまえろ」と思う事も度々。

一番、気にくわないのがPCを点けた途端に、画面真ん中に『ようこそ』。これは、他人の訪問などを喜ぶ挨拶語(出典:広辞苑)ではないか!自分のPCをいじって居て、この言いぐさは何だ!お前、「俺の顔認証しただろう?」、だったら三つ指ついて「おかえりなさいませ。お疲れ様でした。肩でもお揉みいたしましょうか?」ぐらい、出来なくても言ってみろ!

何を話していたのでしたっけ?あっ、そうそう、菠薐草だ!どうも、感情に負けてしまい、失礼しました。さて、此の菠薐草の「菠薐(ハリョウ)」と言うのはネパールの地名だそうです。(出典:広辞苑第六版)

さてこのネパールの地名ハリョウHaryo或いはホリョウHoryoというのは何処なのか調べましたが、それと思しき所が見つかりません。私が働いていたラリトプール市内でその発音に似た、或いはその発音を含んだ所を上げると「Harisiddhi」「Harihar Vawan」等が見つかりましたが、ネパール全国となると?? ネパール語の『Ha Ryo』という発音は「lost(失う)」「Green(緑)」という言葉に近いそうですが、これに関係する地名なのかも??

話が飛びましたが、さてこのホウレン草というと野菜ですが、ビジネスの世界では別の重要な意味を持ちます。そうです、組織の中で「ホウレンソウ」というと業務における部下だけではなく組織で働く人の心得、或いは業務推進のポイントです。「報告(ホウコク)」、「連絡(レンラク)」、「相談(ソウダン)」を意味する事は皆さんご存じの通り。

 

ネパールで活動していた時の事です。私の仕事の上で、市場調査やCAD図作成などの業務をサポートしてくれるアシスタントのネパール人に、この話をしました。勿論、その時の状況は・・・、打合せと調査が目的で市役所に行かせた所、なかなか帰ってきません。当然、連絡もなし。『自分で自分を管理できなければ、単なる学生としか扱わないぞ!』と叱ってみたものの、これではいかんと、上記の話となりました。

この話の最中にふと、ネパール語でこんな言葉が見つからないかと相談すると、アシスタントが見つけてくれた言葉が『Beshar (बेशर ベシャール)』。意味は「Turmeric Powder (ターメリック)」で、日本でもカレーライスを作るときや、エスニック料理を作るときに普段からよく使う調味料です。

Be:         Bishleshan          बिश्लेशन               (Report 報告)

Sha:       Shampark           शम्पार्क                 (Contact 連絡)

R:           Raya                    राय                      (Discussion 討議)

何か部下との間で問題が起きたとき、くどくど言わなくても『Besharを忘れるな!』の一言で、大切なポイントを伝えられるというわけです。

しかし、辞書を見るとネパール語の場合、発音のアルファベット表記が辞書によりまちまちですので、まっ、頭の固い人たちからは色々と異論が出るかもしれません。それもまたおもしろい物で、そんな議論をしながら、このビジネス・ポイントが理解されたら良いのでは。

ついでに英語ではと、相談して決めたのは『Red coat』。丁度、アシスタントが着ていたのが、赤いロングのカーディガン。

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しかし、『Red coat忘れるな!』と言ったら「今日は黒のセーターです。」なんて言われるかな。何かもう少し適切な言葉がありそうにも思えます。皆さんもお考え下さい。

単なる言葉遊び、くだらないと言うなかれ!もともと「ホウレン草」もそんな言葉遊びなのですから。だけど言葉遊びも「ホウレン草忘れるなよ!」とか「ホウレン草思い出してくれよ!」等と仕事の世界で気楽に使えるようになると、遊びとも言えなくなります。

ネパールで仕事をされている皆さん!『Beshar (बेशर ベシャール)』を使って『Nabhulnu Beshar』(ベシャールを忘れるな!) と片言のネパール語を使いながら、プロジェクトが上手く進むようされてはいかがですか? (上手く進むかな??)

海外でお仕事をされている皆さん!そこの国の言葉で仕事上の「ほうれん草」を見つけて試されては如何??

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