阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

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海外に対するコロナ防疫体制と隔離施設の実体験報告

現在、ワクチン接種が連日ニュースになっていますが今回は、あまり話題にならない海外に対する防疫体制について、私の経験をもとにお話しします。

私は今、バングラデシュで地下鉄の設計のお手伝いをしておりますが、ワクチン接種の為、一時帰国いたしました。現在、日本政府はインド型コロナの蔓延地域からの飛行機の乗り入れを禁じており、東南アジアから直接、日本に入るフライトはありません。

そのため今回の帰国は、バングラデシュから、まず中東のカタールに5時間かけて西に飛び、そこから日本に10時間かけて東に飛ぶという、大回りルートで帰国しました。

成田到着後、4段階の検査があります。まず、出発前48時間以内のPCR検査結果報告書のチェック、その次は健康チェックシートなどの事前に作成した書類審査、次は各人のスマホにダウンロードした4種類の指定アプリを実際に立ち上げるまでのチェック、次に唾液による抗体検査或いはPCR検査が行われます。夜間にもかかわらずそれぞれの検査会場では、30人以上の若い女性たちが生き生きと働いており、コロナが生み出した新しい職場という感じです。さて、この検査で陰性と判定され、それから入国審査、通関で入国となりましたが、ここまで飛行機を降りてから3時間近くかかりました。

国によって隔離期間が決められており、バングラデシュは10日間隔離対象国で、空港からバスで、隔離施設成田東横インに運ばれました。(最近、6日間に変更されました。)

ホテルのロビーで、入所の注意・説明書と体温計が渡されましたが、書類には一切、チェックイン、チェックアウトという言葉はなく、入所、退所という言葉でした。3食と宿泊代はただ、しかし収容所なのだということをはっきりと認識した瞬間です。

部屋は、20m2以下の狭いシングルベッド室で、ベッド脇にデスクと大きな液晶TVがついています。衣類収納棚はなく、壁に衣類が掛けられるようになっています。

収容所室内のデスク写真

 

食事は、毎食弁当で、8時、11時、4時に「これから食事を配る。配り終わった時に知らせるので、それまで扉は明けるな。(勿論、もう少し丁寧な言葉で)」というアナウンスがあり、1時間後位に扉の外のドアノブにビニール袋に入った弁当が掛けられます。

ベッドメーキングはなし、自分で全てしなくてはなりません。浴室タオルの取り換えも電話で頼むと、ビニール袋に入れてドアノブにかけてくれます。

買物はこのホテルの1階にコンビニがあり、午前、午後共に2時間ぐらい開店し、その時間帯にコールセンターに買物を依頼すると、代金を入れるビニール袋がマグネットで張り付けられ、それにお金を入れて張り付けると、品物、お釣り、レシートを入れたビニール袋がドアノブにかけられます。

このコールセンターというのは、このホテルとは全く異なる組織で、この収容所の管理を厚労省から委託されている組織のようで、全く素人的&お役人的。ノンアルコールビールを頼んだら、ビールという名称がついているのでダメと言われてしまいました。ある日、「滞在者が千人を超えているので弁当の配布に時間がかかり遅くなる。」との放送がありました。普通でしたら、こんな言い訳じみた放送は、ホテルの印象を悪くするので一切ないでしょう。

収容所に入って3,6,10日目に唾で行うPCR検査があり、検体配布もドア越しにされ、検体提出の際は全身防護服に身を固めた検査官が名前を確認しながら受け取っていきます。部屋の扉の内側には唾が出やすいように、梅干しとレモンの写真が貼ってあります。

扉に貼ってある梅干しとレモンの写真

この収容所内では、一切禁酒です。収容者はコロナ感染被疑者の危険人物ですから、他の人が入室する事は一切ありません。今回の帰国便の乗り換え地であるドーハ空港では、コロナどこ吹く風で、色々ないい酒がすべて無税で買えます。そこで酒類を購入し、荷物に入れてこの収容所まで持ってきても、入所時の荷物検査はありませんので、身近に酒類を持った人たちは、禁酒への強い意志を試されることになります。

この収容所が、刑務所と異なる点は、労働時間も運動時間もないことです、私の滞在中の1日の平均歩数は300歩程度でした。兎に角、椅子に座ると全てが手の届く範囲にあり、歩く必要がないのです。正に非歩行による人間の足の退化実験です。

私は、幸いなことに急ぎの仕事があり、大きな液晶TVをPCモニターとして使い、毎日この良い環境で仕事が出来、いい時間を過ごせましたが、急ぎの用事も酒もない日々を過ごさなくてはならない人にはつらい留置生活だろうと思います。

こうして私は、長いお務めを終え、出所しました。

ネパールの女性は強いのか?弱いのか?

さて今回の話題は、ネパールにおける「女性は強いのか?弱いのか?」という難しい問題です。

私は、2年間JICAのシニア海外ボランティアの活動の際に、女性の通訳や調査を行うスタッフと仕事をしました。彼女たちは私以上に流暢に英語を使いこなし、都会で生活しており欧米の女性と変わらないようにはっきりと物を言う人たちでしたが、彼女たちからネパールの女性の立場を判断するには早計のようです。女性の立場が強い、弱いというのは、その生活や人間関係の中ではっきりと表れるのでしょう。

ネパールで最初に開校されたトリブバン大学工学部を卒業した女性たち

上の写真の女性たちからは、女性が弱いなどと言うイメージは全くなく「明るく元気」という感じです。私が、ネパールで活動していた時のアシスタントもこの中の一人でした。英語が堪能で、1分間に40文字近いタイピング能力があり、CADも自在に操り、交渉能力もあり、実に素晴らしい女性でしたがしかし、次に紹介する幾つかの資料から、ネパールの女性の弱い立場についてもご理解されるでしょう。

ネパールでも昔の日本と同じように、「息子は家族を守り養う者」「娘は未来の他人の財産」という考えで、娘は初潮の前に嫁がせる方がよいと信じられていました。

『娘とはくれてやるものだ、

養ってくれる他の誰かに。

今日、娘を渡してしまって、

何とホッとしたことか、

負債もなく羽のように軽やかに』

これは【立ち上がるネパールの女性たち】という本に記載されている1600年前に書かれた詩だそうです。娘はお金がかかる前に嫁に出すというこの考え方は、今でも変わっていないそうです。

今は違法になっていますが、夫の死後、妻が火葬の炎に身を投げて後を追う「サティ」という習慣があり、今でもサティで火傷を負う女性は多いと言います。又、離婚の場合も、再婚できないように顔面を焼かれるという事も起きています。

民法に述べられている親の財産分与は、娘も息子と同様に求めることはできますが、娘は35歳にならないと受領できず、再婚した場合は残っている受領財産は父方の近い親戚に返さなくてはならないそうです。これも遺言がある場合で、遺言がない場合は相続権を持つのは、7世代以内の男系だそうです。

所がどっこい、ネパールでは国で定めた祝祭日は全部で30日ありますが女性のみという祝祭日は3日もあります。

その祝祭日には、女性たちは町内ごとにあるいは民族ごとに同じ綺麗な衣装に身を飾り町内を練り歩きます。それは、それは壮観でかつ、力強くもあります。

また、私がいた建築確認申請を受け付ける職場ではなぜか女性の施主による申請が非常に多く、朝早くから事務所の前にたむろしています。

又、国勢調査に、女性が固定資産の土地や家の所有権を持っている世帯数を調べている項目があります。世帯全数の中で、約20%で女性が家或いは土地の所有権を持っていると数字が出ていますが、嫁のうちは弱いが、腰を落ち着けると強いという意味ですかね??この数字は、ヒンドゥー教の社会の中でも予想外に女性の力が強いのかなと伺わせます。

家屋の所有登記者が男性か、女性かの国勢調査資料

やはりどの国も一緒なのですよ。男性と女性の力関係は、腰を落ち着けた後は。

ネパールという多民族・多宗教の国

ネパールの国勢調査の稿で、若い年代の結婚について書きましたが、この稿では、私たちのような島国に住んでいる民族にはあまり縁のない多民族・多宗教についてネパールの国勢調査に現れた民族、宗教をご紹介しましょう。

ネワール族の新年の時の民族衣装の少女たち

さてネパールという国ですが、皆さんご存知ようにヒンドゥー教の国で、カーストという特有の身分制度があります。ネパールのカーストには、バウン(司祭カースト)、チェトリ(王侯、軍人カースト)、カミ(鍛冶屋カースト)、ダマイ(仕立屋カースト)などがありますが、インドと違ってネパールのカーストは民族と結びついているので複雑になっています。しかし、カーストいうのは単に「生まれが同じ集団」という意味ですが実生活では、それぞれが独自の暦(暦については別稿でご紹介します。)を持っており、習慣も違うし、今でも女性が結婚する場合は様々な足かせとなっています。また、不可触民(ダリット)「カミ」は寺院に入ることや共同の井戸から水を飲むことなどが禁止されているそうです。(カーストは生まれ変わるまで付きまとう余計なものですが、インドでは最下層と言われるカーストの自殺者は他の層より多いという統計があります。現代インドにおける仏教の復興は、カースト差別の否定が主な原動力となっているそうです。)

国勢調査のカースト毎の人口(Population by caste/ethnicity)に記載されている表には、民族という言葉と同意語として集計していますが、なんとその数は129もあります。下の表がその抜粋です。

Table 20: by caste/ethnicity

  Caste/Ethnicity Population(人)
1 Chhetree 4,398,053
2 Brahman-Hill 3,226,903
・・・・ ・・・
127 Raute 618
128 Nurang 278
129 Kusunda 273

何と一番少ないカーストは、たった273人しかいません。このカーストを民族と呼ぶとしたら、本当に絶滅危惧種なのではと考えてしまします。人類は、動植物の場合ほど人間の絶滅危惧種に親切ではありませんので、将来どうなるのか心配です。

さらに驚くことにこの国勢調査の中に、祖語(Mother tongue)毎の人口集計がありますが、そこにはこの129のカーストのlistが並んでいました。ネパールは現在、七つの州の行政区画があり、その下部行政区画として全体で75郡に分かれています。昔、ネパールは此の数に匹敵するくらいの小国に分かれていました。そんな歴史の結果が129の言語、民族という結果なのでしょうか??

 

最初にネパールは、ヒンドゥー教の国と書きましたが、そうでもないのです。下の表は国勢調査の宗教ごとの人口です。この調査結果ではヒンドゥー教徒は81%だけで、19%は他の宗教なのです。この数字は、イスラム教徒とコプト教(原始キリスト教)の国と言われるエジプトで、コプト教徒の率はわずか3%という事と比較すると大きい数字です。ネパールには「仏教の日」や「クリスマス」という国の祝祭日ではない「宗教の祝日」があるのですが、他宗教の人も同じように休みます。これは他宗教の比率が高いから、宗教間の安定を図る意味もあるのかもしれません。(単に仕事をしなくていいと理由づけて休むのかも??)

Population by religion
Religion Persons %
Hindu 21,551,492 81.34
Buddhism 2,396,099 9.04
Islam 1,162,370 4.39
Kirat 807,169 3.05
Christianity 375,699 1.42
Prakriti 121,982 0.46
Bon 13,006 0.05
Jainism 3,214 0.01
Bahai 1,283 0.0048
Sikhism 609 0.0023
Undefined 61,581 0.2324
Total 26,494,504 100

(国勢調査の宗教ごとの人口)

日本のキリスト教徒は1%、仏教徒75%程度という資料がありますが、宗教的なお休みは全くありません。日本は戦後、宗教、信仰というものに対して正しい理解を避けて正面から向き合っていない事が一つの理由なのかもしれません。宗教とは言えませんが、正月は神社に、葬式は寺に、お盆には寺に、クリスマスには家族・友人でプレゼントを交換し、と言うようにイベントごとに宗教施設と気楽に付き合っているのが日本流なのかもしれません。

 

しかし、この様なネパールの状況を観察していくと、つくづく日本という海に囲まれた島で、殆ど単一の民族と言う感覚が持てる国に生まれた幸せをしみじみ感じます。ネパールは小王国が統一されたのちも王政でしたが、内戦が起こり共和制に生まれ替わりました。日本は単一の民族の国という共通認識の元に、我々の先祖は「王政」とは異なる「万世一系の天皇制」というストーリーを組み立て、平安時代から現代までも続いている国の安定を可能にしました。この先祖の知恵に対して本当に感謝しなければと思います。また、太平洋戦争当時、アメリカは日本を「菊と刀」に記されているように徹底的に日本民族の根本を分析し、この天皇制という制度は占領統治に絶対に必要だと判断し維持しましたが、その判断は今も有効に機能しています。

ネパールの長寿をお祝いする行事

この稿は、前稿の「ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで」の続きです。

ネパールでも、日本でも青年期を過ぎると、歳をとるまでこれと言った年齢を祝う儀式はありません。日本の長寿を祝う年齢(全て数え年)は、還暦(61歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、紀寿(百寿100歳)と100歳まで8回もありますが、此の年齢を祝うと言う文化をくれた中国と比べて、日本は格段に多い回数です。

中国では、「賀寿」と言い40歳から10年おきに祝う習慣があったそうですが、人間が長寿になるに従って上寿(100歳)中寿(80歳)下寿(60歳)を年齢の区切りとして祝う様になったとか。

ネパールのJankuの祝いの駕籠

此処、ネパールでは「ジャンク Janku」と言う長寿祝いが4回あります。「1回目ジャンク」は77歳7カ月7日目に祝います。「2回目ジャンク」は83歳或いは84歳の祝いで、僧侶が月を見て決めるとの事ですが詳細不明。ネパールの民族によっては、この2回目ジャンクだけを「Chaurasi puja」と言って大切に祝います。84歳と言う歳は1,000回の満月を含み、この歳に達すると八万四千回の生まれ変わりの後、人として生まれ変わると言われています。「3回目ジャンク」は88歳8カ月8日目に祝い、「4回目ジャンク」は99歳9カ月9日目に祝います。ネパールでは、このジャンクは家族だけでなく町内で祝い、家族を含め町内の若者たちがジャンクのお年寄りを、華やかに飾り立てた駕籠に乗せ、時には楽隊もつれ練り歩きます。家族によっては、記念のカレンダーを印刷して配ったりもします。

ジャンクの籠に乗る前にお化粧をして、家の中で祝いの儀式

ジャンクのお年寄りを載せ、練り歩く駕籠

日本の喜寿(77歳)から白寿(99歳)までは、それぞれ草書体や漢字の分解で長寿祝い名称にしており、日本特有と聞いていましたが、此処ネパールにも同じような長寿祝いがあると言うのは、どちらが源流なのでしょうか。喜寿(77歳)を祝う様になったと言うのは江戸時代からだそうですが、そこから考えると源流はネパールかも??それとも博打好きな男が多いと言われるネパールでは、やはり「ぞろ目」がいいのかな?何かネパールがより身近になったような気がした事も確か。

いずれの「ジャンクJanku」も肉を食べないとか、特別な食事やお菓子を食べるとか色々な儀式がある様です。長寿の為の何か食事療法的な意味があるのかも。

ジャンクの祝いを何度か見ましたが、何時もご夫婦が祝われていました。多分、ご主人か奥様のどちらかがジャンクの歳になると、共に祝うのでしょう。なかなかいい風習ですね。

子供の時の祝い、長寿の祝い等を見て来ると、それぞれ多少の違いはあるものの、文化の本質は何か深い所で繋がっているようです。それが人間と言う動物が持っているDNAなのでしょう。

建築違反もここまでくると、実に愉快!

前稿は、民間で行われている建築違反の話でしたが、今回はもっとすごい公共の建築違反の話です。

2011年の国勢調査結果でこのパタン地域の人口集中の状況を調べると、次のような結果になりました。下の図はラリトプール市全域の区(Ward)毎に人口密度の棒グラフを表しています。グラフの一番高い棒がパタン地域の中の世界遺産地域の人口密度を表しています。

そこの人口は、なんと世界の首都の中で一番人口密度が高いと言われているモルディブの首都マレの1.3倍の人口密度の高さです。東京の何と3倍の人口密度です。

City population Density(p/ha)(世界の色々な首都とパタンの人口密度比較)
Patan World heritage area(パタンの世界遺産地域) 459(人/ヘクタール)
Male(Maldivesモルジブの首都マレ) 350
Paris(Franceフランスの首都パリ) 206
Tokyo(Japan日本の東京) 144

こんな状況の中で、法律なんか何のその、少しでも居住面積を増やし、快適な生活を望むのは人情。重々その気持ちをおもんばかって、住宅のせり出しには目をつぶるとしてもこれはないでしょう!

国立競技場の観覧席がドカンと歩道の上だけではなく、車道の上まではみだしています。ここまでやると何か痛快、愉快、欣快!!

多分、ネパールでは法務省も国土交通省も文科省も厚労省も環境省も、日本の省庁のようなセクト意識がなく、仲良く意見を出し合い国の発展のために最善の案を出し合っているでしょうね。その結果、「いいよ、良いよ、設計を変るのは大変だろ。ちょこっと道路の上に出たって。気にしない、気にしない。」

(そんな調子で日本のモリ蕎麦もカケ蕎麦も、友だち同士、井戸の中で民間も含め仲良くやって、若い世代の教育を推進しようとした結果だったんでしょうね。)

国の施設がここまでするんだったら、俺の家なんかが敷地からちょこっと1mや2m跳ねだすぐらいなんていう事ないね、なんて言葉が出てくるね。私の勤めていた役所の連中が何も言わない訳が分かったような気がするね。

もともと歴史建造物のネワール建築は、庇を大きく道路にはねだしていましたから、はるか昔から敷地境界なんて小さなことを考えず、「世の中も個人も一心同体。世の中のものは私のもの、私のものはわたしのもの。」という広い気持ちできたのかな~~??

狭くなる空(あなたの空は私の空)

ネパールで活動していた時、私の事務所は世界遺産に指定されていたパタン地域にありました。毎朝、私が事務所に通う道が、何か少し暗くなったなと思い、見上げると、空が狭くなっていました。その道は4階建のネワール建築が立ち並んでいた狭い路地です。もう「立ち並んでいた。」と言う過去形でしか言えません。

此の事務所に通っていた2年間に100年以上の歴史を持つ20以上のネワール様式の建物が、新しく鉄筋コンクリート構造の建物に改築されました。ネワール建築の住居は、通常4階建で、1階は水場と倉庫、2階は主に寝室、3階は居室、4階は台所・食堂という配置です。このしゃ(ネワール建築での生活については「動態保存の家に住む難しさ」という稿であらためてお伝えします。)

伝統的なネワール建築様式の住宅

古い歴史建造物の家は観光客にとっては素晴らしい景観ですが、そこに住み日々の営みを続けることは、近代的な生活を知っている住人にとっては不便極まりない状況です。経済力を持ったネワール建築の家主は、その家を壊しコンクリートの建物を新築します。

建て替えることは致し方ないとしても、問題はその建て方です。上階に行くほど徐々に道路にはね出して、居室を広くしているのです。当然、空は狭くなります。勿論、自分の敷地をはみ出して建物を立てる事は法律違反です。しかし街を、気を付けてみると、どこでも同じように道路に跳ねだして家を建てていました。

私の配属先「ラリトプール市都市開発部」は、新築の建物の建築許可を出す所ですが、建築指導もする部署です。その直ぐ傍の通りの空が狭くなっているのです。しかし、なぜか誰も何も言いません。ここネパールでは住宅規模程度では、新築工事完了後の完成検査、建物使用許可書発行、そこで初めて建物の使用が出来ると言う日本にあるような制度によるチェック機能が働いていません。ですから「公共の空間は俺の物」と言う事がまかり通ってしまうのです。

両側からせり出して、ついには通りの向かいの建物とくっついてしまい、アーケードになってしまうのではと、思ってしまいます。

 

ほうれん草

ほうれん草

ほうれん草の写真から始まったからと言ってCOOKPADではありません。バター炒めなんで考えると、よだれが出てきますが料理サイトではありませんのでお間違いなく。ただ、この稿ではホウレン草について書きましょう。

私のPCにホウレンソウと打ち込むと、「菠薐草」と出てきます。全く知らない漢字で、この場合は「こいつもなかなか頭が良いな」と思いますが、時には「馬鹿だねー、こんな事も知らないのか!」なんて思う事や、「自分の立場をわきまえろ」と思う事も度々。

一番、気にくわないのがPCを点けた途端に、画面真ん中に『ようこそ』。これは、他人の訪問などを喜ぶ挨拶語(出典:広辞苑)ではないか!自分のPCをいじって居て、この言いぐさは何だ!お前、「俺の顔認証しただろう?」、だったら三つ指ついて「おかえりなさいませ。お疲れ様でした。肩でもお揉みいたしましょうか?」ぐらい、出来なくても言ってみろ!

何を話していたのでしたっけ?あっ、そうそう、菠薐草だ!どうも、感情に負けてしまい、失礼しました。さて、此の菠薐草の「菠薐(ハリョウ)」と言うのはネパールの地名だそうです。(出典:広辞苑第六版)

さてこのネパールの地名ハリョウHaryo或いはホリョウHoryoというのは何処なのか調べましたが、それと思しき所が見つかりません。私が働いていたラリトプール市内でその発音に似た、或いはその発音を含んだ所を上げると「Harisiddhi」「Harihar Vawan」等が見つかりましたが、ネパール全国となると?? ネパール語の『Ha Ryo』という発音は「lost(失う)」「Green(緑)」という言葉に近いそうですが、これに関係する地名なのかも??

話が飛びましたが、さてこのホウレン草というと野菜ですが、ビジネスの世界では別の重要な意味を持ちます。そうです、組織の中で「ホウレンソウ」というと業務における部下だけではなく組織で働く人の心得、或いは業務推進のポイントです。「報告(ホウコク)」、「連絡(レンラク)」、「相談(ソウダン)」を意味する事は皆さんご存じの通り。

 

ネパールで活動していた時の事です。私の仕事の上で、市場調査やCAD図作成などの業務をサポートしてくれるアシスタントのネパール人に、この話をしました。勿論、その時の状況は・・・、打合せと調査が目的で市役所に行かせた所、なかなか帰ってきません。当然、連絡もなし。『自分で自分を管理できなければ、単なる学生としか扱わないぞ!』と叱ってみたものの、これではいかんと、上記の話となりました。

この話の最中にふと、ネパール語でこんな言葉が見つからないかと相談すると、アシスタントが見つけてくれた言葉が『Beshar (बेशर ベシャール)』。意味は「Turmeric Powder (ターメリック)」で、日本でもカレーライスを作るときや、エスニック料理を作るときに普段からよく使う調味料です。

Be:         Bishleshan          बिश्लेशन               (Report 報告)

Sha:       Shampark           शम्पार्क                 (Contact 連絡)

R:           Raya                    राय                      (Discussion 討議)

何か部下との間で問題が起きたとき、くどくど言わなくても『Besharを忘れるな!』の一言で、大切なポイントを伝えられるというわけです。

しかし、辞書を見るとネパール語の場合、発音のアルファベット表記が辞書によりまちまちですので、まっ、頭の固い人たちからは色々と異論が出るかもしれません。それもまたおもしろい物で、そんな議論をしながら、このビジネス・ポイントが理解されたら良いのでは。

ついでに英語ではと、相談して決めたのは『Red coat』。丁度、アシスタントが着ていたのが、赤いロングのカーディガン。

Re:         Report   (報告)

Co:         Contact (連絡)

T:           Talk       (相談)

しかし、『Red coat忘れるな!』と言ったら「今日は黒のセーターです。」なんて言われるかな。何かもう少し適切な言葉がありそうにも思えます。皆さんもお考え下さい。

単なる言葉遊び、くだらないと言うなかれ!もともと「ホウレン草」もそんな言葉遊びなのですから。だけど言葉遊びも「ホウレン草忘れるなよ!」とか「ホウレン草思い出してくれよ!」等と仕事の世界で気楽に使えるようになると、遊びとも言えなくなります。

ネパールで仕事をされている皆さん!『Beshar (बेशर ベシャール)』を使って『Nabhulnu Beshar』(ベシャールを忘れるな!) と片言のネパール語を使いながら、プロジェクトが上手く進むようされてはいかがですか? (上手く進むかな??)

海外でお仕事をされている皆さん!そこの国の言葉で仕事上の「ほうれん草」を見つけて試されては如何??

マグマティ川に架かる珍しい産業遺産の橋

さて、前稿のマグマティ川がまだまだ清く澄んでいた時代に掛かった素晴らしい橋の話です。ヒマラヤ山脈もカトマンズ市の周りの山も、はるか昔に海から隆起した泥岩、頁岩、砂岩、石灰岩などから成る変性岩の層に覆われており、嘗てマグマティ川が刻んだ幾つものの洞窟や峡谷があります。その洞窟群公園(場所名はChovar Gorge) のすぐそばに実に優美な姿の吊り橋がマグマティ川に掛っていました。もともとつり橋は構造的に無駄のない架構で綺麗な形をしているのですが、此のつり橋は綺麗であると同時に風格がありました。

Chundra Gorge Bridge

今は通れませんが、観光年2011年の時は下の写真の様に人を通したようです。

通行時のChovar Gorge bridge

橋柱に銘板がありました。製作者はスコットランド・アバディーンのLouis Harper AMI.C.E。橋の名前はChundra Bridge、建設年は1903年6月、橋を掛けた人は大佐 Kumar Nursingh Rana Bahadur C.E.の監理のもとにネパール政府の技術者と記載されています。

橋製作者銘盤

橋施行者銘盤

建設管理者名の最後についているC.E.は多分、Chief Engineerの略だと思います。Kumar Nursingh Rana Bahadurは、ラナ家(Rana)の出身の誰かだと思われます。当時は、1846年の宮廷での権力闘争を利用し有力貴族を殺害し当時のラジェンドラ国王を追放して、傀儡スレンドラ国王を擁立し実権を掌握したラナ家独裁政権の時代(1846年から1951年)です。ラナ家は、江戸時代の朝廷・幕府の二重権力関係との類似性から、「ネパールの徳川幕府」と言われ、ラナ家歴代の首相は19発の礼砲で迎えられる地位に位置付けられていたとの事です。

ネパールの王家やこのラナ家には、何度も権力闘争のお家騒動がありましたが、1885年のラナ家の内紛の登場人物に、General Dhoj Nursingh Rana Bahadurという人物がいますが、Col. Kumar Nursingh Rana Bahadurも彼と血の繋がりを持つネパール軍に関係する人物でしょう。

Kumar Nursingh Rana Bahadurは、フランスのベルサイユ宮殿にも匹敵するという東洋一の宮殿(Singha Durbar これについては別の稿「アジアのベルサイユ宮殿」でお話しします。) を作った技術者としても名前が挙がっています。

さて、工学の分野で飯を食う私にとって重要な点は、製作者の方です。その当時、Louis Harperは有名なつり橋の設計者であり製作者で、製作工場を経営していました。名前の後のAMI.C.Eは、イギリス土木学会準会員(Associate Member of the Institution of Civil Engineers)の略です。彼の父親は、1880年代につり橋のパテントを取っています。Louis Harperはその当時イギリスの殆ど全てのつり橋の設計や製作を手掛けていました。しかし、彼の橋が何故、イギリスから遠く離れたこのネパールに?

ラナ家は、王家との婚姻を通じて、今でも経済面でネパールに対して大きな影響力を持っているそうです( Wikipedia)。この橋が架かった当時、東インド会社が実質的にインド全域を支配しており、ラナ家もその権力存続の為、東インド会社と密接に結びついていました。この橋が掛っている道は、東インド会社がチベットとの交易に必要な重要な通商ルートでした。多分この橋も東インド会社から依頼と言うより、命令でネパール軍の工兵隊が掛けたのでしょう。

丁度、この頃イギリスでは、銑鉄、錬鉄と言う初期的精錬から1856年の転炉の発明で、粘りがあり強く、錬鉄よりも加工し易い鋼鉄(はがね)を安定的に市場に供給していました。鋼鉄は、線路や建築構造物、造船等に使われ、当時のイギリスは鉄製品の世界の工場として重要な拠点でした。

此の橋がイギリスで製作されていた頃、日本海海戦(1905年5月27日~28日)で活躍する戦艦三笠(1902年引渡)、戦艦富士(1897年引渡)、戦艦朝日(1900年引渡)がイギリスの造船所で製作されていました。

戦艦春日

時代は正にアール・ヌーボーの時代、鉄骨を使って優美な建築が沢山作られた時代です。1989年のパリ万博で作られた、ガラスのドームのグラン・パレ、エッフェル塔、巨匠オットー・ワグナー設計のウィーンのカールス・プラッツ地下鉄駅(1901年)等は当時アール・ヌーボー時代の鉄骨の芸術を余すところなく表現している傑作です。しかし、そんな時代の中でケーブルを使ったつり橋は、全ての華燭を削そいだ「力学の美しさ」というような別の美しさを誇っていたと思います。しかし、此の橋は橋柱の先端には、アール・ヌーボー的な飾りをチラッと見せている、そんな風情が此の橋の風格を作っているのでしょう。

カールス・プラッツ地下鉄駅

色々と話が飛びますが、この優美な橋は、思いを色々な話題に連れて行ってくれます。

Louis Harperは、ネパールでもう一つ、今現在も使われているというSundari Footbridgeという橋を設計製作しているとの事で、探しましたが見つかりませんでした。

遠くイギリスからもたらされたこの素晴らしい産業遺産を、ネパールが大切に保存してくれる事を切に望んでやみません。

ヒンズー教の聖なる川の危機

ネパールの首都カトマンズに流れるマグマティ川は、源流から河口に至るまでヒンズー教の聖地が河岸に並ぶ聖なる川です。その川が危機に瀕しています。

ヒマラヤ山脈の南側には、山脈と並行して数本の襞(ひだ)が走っています。この襞の間にある首都カトマンズは、昔は水深500mのカトマンズ湖があった所です。そこに流れ込むマグマティ川が運んできた土砂で湖は浅くなり、ついに南側の襞が決壊し今のカトマンズ盆地が出来ました。マグマティ川はネパールを南下し、仏陀が悟りを開き、仏教の生まれた地でもあるインドのビハール州に入り、ガンジス川に合流した後バングラデシュに入り、ベンガル湾にそそいでいます。
首都カトマンズの東側、マグマティ川の河畔にはパシュパティナート(Pashupatinath)というネパール最大のヒンドゥー教寺院があり、そこには火葬場があり、遺灰はマグマティ川に流されます。マグマティ川が合流するインドのガンジス川河畔のヴァーラーナシー(Varanasi)も聖なる場所として、火葬が行われており、バングラデシュに入ると、その河畔のランガルバンドゥ(LangalBandh)もヒンドゥー教の聖地となっています。ガンジス川は上流から下流までのヒンドゥー教の聖地を結び、聖なる川とされています。

写真:Pashupatinath

しかし、カトマンズ市内を流れるマグマティ川は下水と化し、黒い川面が発する悪臭が問題になり、またインドではガンジス川の汚染は他の川の10倍にもなっていると問題になっています。何とか聖なる川を「清なる川」にするためには、「川の流れは、何ものをも飲み込み洗い流してくれる」という意識を変える事が必要なのでしょう。
また、「川を守るためには森を守らなくてはならない」というは鉄則ですが、ヒンドゥー教では「薪を焚く野焼きの火葬によって人は再生する」という思想があり、日本からの白灯油、都市ガス・液化石油ガスによる火葬の技術移転が進んでいないと言われています。ここで火葬技術と書きましたが、火葬には様々な技術が必要です。これは一例ですが、ヒンドゥー教の場合、お墓は持たず遺灰は川に流してしまいますが、日本の場合は遺骨をお骨揚げして、お墓に埋葬するという文化があるため、ただ高熱で火葬すると全て灰になってしまうので遺骨が残るように温度調整する火葬技術が必要になります。

近代的な火葬炉の裏側

人体の組成は、水分60%、タンパク質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%です。ですから、燃焼させるには、灯油の場合50ℓ以上の熱カロリーが必要です。しかし、体脂肪が多い場合は、必要熱量は下がってきます。200㎏以上の体重の遺体の火葬の際に体脂肪の燃焼で炉の中の温度が上昇し過ぎて火災になった例があるそうです。

これは、Wikipediaで拾った情報ですが『2012年竣工のソウル市火葬場は、巨大な美術館を併設し、最新のデザインの外観で、徹底的に環境問題に配慮し、火葬炉も最新鋭技術によりコンピューター制御され、遺骨はロボットが運ぶなど世界でも最新の設備を誇る施設』との事です。

他の稿でも書きましたが、中国国境の海抜8000mのヒマラヤ山脈に発するネパールの川は、日本の本州の幅ほどの距離をインド国境の海抜70mまで、急流となって山を削り、谷を削り駆け下ります。如何に森を守り、川を守るかは、ネパールの100年の計と言えるでしょう。色々な意識や考え方が変わって早く、聖なる川を守ることが出来るようになればと願っています。

ネパールの動物たちは幸福度世界一!

さて、本稿は、ネパールでのうのうと暮らしている「動物の幸福度」の話です。(当人?たちに言わせるとそれなりに心配事や悩みがあるかも??)

私の見る限り、「ネパールで暮らす動物のGNH(Gross National Happiness国民全体の幸福度)は、日本の動物たちより高いことは確実です」。それではその状況を幾つかお話ししましょう。勿論、動物のGNHを判断するに当たり、言語の問題もあり、それぞれの動物への聞き取り調査は行っておりません。あくまで私の主観的な観察から、確固たる信念をもって評価したものである事をお断りしておきます。

私の場所という風情の牛たち

ネパールは、お釈迦様が生まれた国で、その仏教を生み出したヒンドゥー教の国ですので、牛(Cow或いはBull)は神聖な動物とされており、車道であろうと歩道であろうとのんびりと横たわっています。当然、彼らのGNHの項目の中で、「3.教育」を除いて全く問題はないはずです。

ただ、我々日本人からすると、大いなる差別があるのではないかと思う部分があります。肉屋に行きますと堂々と牛肉は売っているのです。それはバッファローBuffalo(アメリカの平原を闊歩しているバイソンの事ではなく、アジア各国の水田で働いている水牛)の肉です。同じウシ科にもかかわらず彼ら水牛のGNHの項目の中で1.心理的幸福や8.生活水準、9.自分の時間の使い方、などは最低でしょう。

ネパールの街のいたる所で、牛だけではなく歩道には沢山の犬がドデンと横たわっているのを見ます。チン、ポメラニアン、プードルなどそんな可愛らしい犬ではなく堂々とした犬が、『私の世界はここだ!』とばかりに歩道のど真ん中でお眠り遊ばされています。その堂々たる風情、実に立派です。

堂々と歩道に寝そべる犬たち

そこを通る大勢の人々は、そこに犬が寝ていることを当然と考え、起こしたりもしないし勿論、蹴とばすなどという失礼な真似もせず、跨いで通って行きます。犬のおやつ用の乾燥した鶏のささ身を鼻先に投げても『こんなもの食えるのか?』といった感じで匂いをかぎ、それからおもむろに食べますが、決して尻尾を振って感謝の意を表すことはしません。如何にも『お前が落としたから食べたまでだ。』という感じ。

どうも彼らの理論としては、自分の平安にたいして人間が抵触しない限りは不可侵であるという事のようです。この不可侵条約を人間も含め周りの動物が守っているのでしょうか、彼らが吠えている声を殆ど聞いたことがありません。

私が住んでいたアパートの近くの大きな寺院にたくさんの猿が住んでおり時折、アパートの庭にまで出没していました。

サルがいても我関せずの犬たち

何時も朝になると、路上で猿にかぼちゃの種などの餌を近所の人が撒いているのですがその時、幾ら沢山の猿がいようと犬は「われ関せず」で、猿を見ても吠えもしません。

日本では「犬猿の仲」という言葉が有ったり、長野県では果樹園などの猿害を防ぐため犬を飼育・訓練したりしていますし、各地に犬と猿が争う昔話があります。

多分、ネパールの犬はそんなDNAを持っていないのでしょう。人間と犬との不可侵条約は、猿と犬の間にも結ばれているのでしょう。

しかし、猿と人間との間にはどうもこの不可侵条約は結ばれていないようです。私が近くの野菜市場で買った野菜を入れたビニール袋を見事、猿に取られたことがあります。周りに居たネパール人は、「よくあるんだ。」と言っていました。だからと言って、ネパールの人は猿を駆除するという事はありません。猿と人間との間の不可侵条約は、片務的なようです。一方、市場の肉屋や魚屋が低い台や地面に広げたシートの上に、商品を並べていても犬はそれを咥えて逃げるという事はありません。

こういう状況から判断すると、猿は勝手気ままにふるまい、追い払われもせずそのGNHは、相当高そうです。一方、ネパールでは多くの犬が狂犬病にかかっていると言われていますので、彼らのGNHで2.健康、3.教育、という項目では低い評価でしょうが、他は非常に高いと思われます。

私の毎日の通勤路に米、麦などを売っている穀物屋さんが在り、前を通るときは何時も若い店主が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいます。

米屋の店先でお米を啄ばむ鳩たち

所が何時も、店先の米袋の上にはハトや、雀の位の小鳥が数羽群がり、米をついばんでいるのです。すぐそばにいる店主に聞くと、『大した量でもないから。』というおおらかな返事。

お釈迦様が生まれた国だからなのでしょうか兎に角、ネパールの人は動物全般にわたって優しく接しているのです。これが「ネパールで暮らす動物のGNHは、日本の動物たちより高いことは確実です」と述べた所以です。

 

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