阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

日: 2018年8月14日

ネパールの長寿をお祝いする行事

この稿は、前稿の「ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで」の続きです。

ネパールでも、日本でも青年期を過ぎると、歳をとるまでこれと言った年齢を祝う儀式はありません。日本の長寿を祝う年齢(全て数え年)は、還暦(61歳)、古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、紀寿(百寿100歳)と100歳まで8回もありますが、此の年齢を祝うと言う文化をくれた中国と比べて、日本は格段に多い回数です。

中国では、「賀寿」と言い40歳から10年おきに祝う習慣があったそうですが、人間が長寿になるに従って上寿(100歳)中寿(80歳)下寿(60歳)を年齢の区切りとして祝う様になったとか。

ネパールのJankuの祝いの駕籠

此処、ネパールでは「ジャンク Janku」と言う長寿祝いが4回あります。「1回目ジャンク」は77歳7カ月7日目に祝います。「2回目ジャンク」は83歳或いは84歳の祝いで、僧侶が月を見て決めるとの事ですが詳細不明。ネパールの民族によっては、この2回目ジャンクだけを「Chaurasi puja」と言って大切に祝います。84歳と言う歳は1,000回の満月を含み、この歳に達すると八万四千回の生まれ変わりの後、人として生まれ変わると言われています。「3回目ジャンク」は88歳8カ月8日目に祝い、「4回目ジャンク」は99歳9カ月9日目に祝います。ネパールでは、このジャンクは家族だけでなく町内で祝い、家族を含め町内の若者たちがジャンクのお年寄りを、華やかに飾り立てた駕籠に乗せ、時には楽隊もつれ練り歩きます。家族によっては、記念のカレンダーを印刷して配ったりもします。

ジャンクの籠に乗る前にお化粧をして、家の中で祝いの儀式

ジャンクのお年寄りを載せ、練り歩く駕籠

日本の喜寿(77歳)から白寿(99歳)までは、それぞれ草書体や漢字の分解で長寿祝い名称にしており、日本特有と聞いていましたが、此処ネパールにも同じような長寿祝いがあると言うのは、どちらが源流なのでしょうか。喜寿(77歳)を祝う様になったと言うのは江戸時代からだそうですが、そこから考えると源流はネパールかも??それとも博打好きな男が多いと言われるネパールでは、やはり「ぞろ目」がいいのかな?何かネパールがより身近になったような気がした事も確か。

いずれの「ジャンクJanku」も肉を食べないとか、特別な食事やお菓子を食べるとか色々な儀式がある様です。長寿の為の何か食事療法的な意味があるのかも。

ジャンクの祝いを何度か見ましたが、何時もご夫婦が祝われていました。多分、ご主人か奥様のどちらかがジャンクの歳になると、共に祝うのでしょう。なかなかいい風習ですね。

子供の時の祝い、長寿の祝い等を見て来ると、それぞれ多少の違いはあるものの、文化の本質は何か深い所で繋がっているようです。それが人間と言う動物が持っているDNAなのでしょう。

ネパールの年齢を祝う行事・お食い初めから成人式まで

日本のお食い初めで歯固め石を孫に食わそうとしている爺

年齢を祝うと言う事はどの国でも行われていますが、当然の事、それぞれの国で祝う年齢には違いがあります。日本では誕生から100日、所により110日や120日に祝う「お食い初め(おくいぞめ)」が年齢を祝う最初の行事でしょう。私は還暦の時は断固拒否しましたが、孫のお食い初めでは、立派に爺を演じました。

膳にはお頭付の魚、赤飯、おまけにお宮参りで頂いた「歯固め石」。食べられる物は全て親のお腹の中に。

このお食い初めの時に、赤ちゃんの思っている事を13年後の親子の会話の調子で再現すると・・・

赤ちゃん『なにー!石、食えってーのかよ。俺の祝いだ!、ちゃんと俺の好みの物、食わせろよ。お前らばっか、呑んで食って!俺、つきあってらんねーよ!』

父親『まあまあ、そうは言わず真似ごとだけだから。』

 

お食い初めは、ネパールではPassiniと言い、女の子は誕生から5カ月目、男の子は6カ月過ぎてから祝います。私のネパール人の友人は、親戚一同から単に仕事で付き合っている私までも含めて招待状を出し、大々的に祝っていました。しかし、色々な人から話を聞くと、基本は家族、親戚内の儀式の様で、私が招待されたのは多分、彼は最初の子供で舞い上がっていたからでしょうね。此の祝いはヒンドゥー教でも仏教でも同じようにするそうです。赤ちゃんに食べさせる物は甘いライス・プディングですから、日本の赤ちゃんの様な文句も言わないでしょう。

日本では、特に年齢を祝うという意味からは少し外れるかもしれませんが、お宮参り、男の子の場合は端午の節句、女の子の場合は桃の節句があります。ネパールでは、民族によってはハイハイからよちよち歩きの頃に、足やお尻に油を塗って足腰が強くなるように祈る行事があるそうです。

正確には年齢を祝うと言う事からは少し外れますが、ネワール族の女性は3回結婚の儀式をするそうです。最初の結婚の儀式の歳は、正確には特定されず、ほぼ5歳から9歳位の間に行われる「果物との結婚(ベル・ビバーハ Bell Vivah)」です。この時は寺からお坊さんが来て、その子の将来を占ってくれるそうです。次の結婚は15歳前までに行われる「太陽との結婚(グファ Gufa)」です。この時は12日間、光のささない部屋から一歩も出ず、トイレなどの時も一切、太陽にも男性にも顔を見られない様に頭巾をかぶって行くほどの徹底さ。3度目の結婚儀式が普通に言う伴侶となる男性との結婚式です。その時、先に結婚した果物及び太陽とは離婚しないの?と下世話な質問をすると、「その必要なし!」と言下に言われました。御免なさい。しかし、先の稿でも書きましたように、14歳ぐらいで結婚した女性の場合は、どうなるのでしょうね?(そこまでは聞き取りしませんでした。しかし、聞き取り相手はスタッフの女性たちでしたが、こんなことを根ほり葉ほりきく爺は、少しきもいという事を通りすぎて、きしょいと思ったかも?)

 

さて、ネワール族の男の子の場合はと言うと、これは大雑把で5歳から20歳くらいまでの間に「バラタ・バンダ Brata Banba」という多分、宗教的な通過儀礼の一種と思いますがあるそうです。お寺から坊さんが来て、男の子の髪の毛を一筋残して丸坊主にして弓を担がせて7歩、歩かせると言う、太古の狩りを想定した儀式だそうですが、此の儀式を10代になってやると言われると、ちょっと引けちゃうね。「俺、この歳で丸坊主かよー!此のど真ん中に一筋残さないで、いっそつるつるにしてくれよ、頼むよ!」という泣きが入るね。

 

日本でも、栃木県や幾つかの県の中学校では、中学2年または3年になると学校行事として「立志式」(りっししき)、「立春式」(りっしゅんしき)、「少年式」(しょうねんしき)、「元服式」(げんぷくしき)を行なっているとの事。

また農村では米俵約70kgを持てる(男子)、田植えを2反[20ha]の広さできる(女子)と労働力の一人前か試される式がいくつか残っています。

日本の成人式のように、外国でも青年期の通過儀礼は近代化された今でも変わらず昔ながらの儀式で祝う所が多いようです。この青年期の通過儀礼は、なかなか面白い題材ですので一度、情報を集めて何時かの稿で書いてみたいと思っています。

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