阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

日: 2018年8月2日

インド亜大陸とユーラシア大陸の四つ相撲現場

私は、このユーラシア・プレートとインド亜大陸プレートが正に其の四つ相撲を取っている土俵に登って、四つに組んでいる所を見てきました。以下がその相撲観戦記です。(前稿に引き続きこれからの文章も私が書くのですから、勝手に単純な相撲モデルを使いますよ。)
現在、中国に占領されているチベット国とネパールとの間に8000m級の山々を抱えるヒマラヤ山脈が走っていますが、一部はネパール国内に入り込んで、アンナプルナ・ヒマラヤ山脈を形作っています。そのアンナプルナ・ヒマラヤ山脈の北側に広がっているのが、嘗てのムスタン(Mustang)王国です。この王国は、2008年にネパールに併合され、なくなってしまいました。
ネパールには、ダサイン(Dasain)という10日間の秋祭り休暇があります。その休暇を利用して、ムスタン(Mustang)王国の首都ローマンタン(Lo-Manthang)までトレッキングしました。(トレッキングのお話は別の項でお話しします。)
アンナプルナI(8091m)の北側に回り込むと、そこは正にムスタン王国の入り口。そこにカグベニ(Kagbeni)という村があります。そこが正に四つ相撲の土俵。チベット国境からムスタン王国を縦断しアンナプルナ山脈の裾を巡って流れるカリ・ガンダキ・ナディ(Kali-Gandaki-Nadi)河が其の四つ相撲をまざまざと見せてくれます。

上がインド亜大陸側で、下がユーラシア大陸側。・・・だと想像しています

南から押してくる地層と、北でがっしりとそれを受け止める地層が、正に四つに組んでじっと土俵中央で動かず聳え立っていました。
そこは正に悠久の時の流れの地球の歴史の中の一齣を見せてくれている場所でした。

ムスタンの地に入ると地層は水平でなだらかな丘が続いていました

それまで荒々しく立ち上がったり、斜めに歪曲したりしていた地層は、チベット語で「肥沃な平原」の意味のムスタン王国に入ると全く平らな地層を見せていました。

(※これまで読んでいただいた皆様には、全く申し訳ないのですが、この項で述べたことは、学術的な見地から記載したものではありません。私が四つ相撲の場所をこの目で見たい、こうであればいいなと思う願望が強く入って述べておりますので、ご理解のほどお願いいたします。)

 

インド亜大陸は、ひょっこりひょうたん島?

ひょっこりひょうたん島のモデルの一つになったと言われるGuamのALPAT島

『昔々、Once upon a time インド亜大陸は、アフリカ大陸の東の端を出発して、5000万年から7000万年という気の遠くなるような時を経て、7500㎞の長い旅の果てに、吸い寄せられるようにチベットの地にたどり着いた。』などと書くと、今でも我々の心の中で長い旅を続けている「ひょっこりひょうたん島」のようなイメージが浮かびます。

ご存知のように「ひょっこりひょうたん島」は、NHK総合TVで放送された人形劇番組で、1,224回の最終回で国連加盟を認められたにもかかわらず、それを断って今でもぷかぷかと漂流しています。
まッ、インド亜大陸、ひょっこりひょうたん島というのは全く私の個人的なイメージで、勿論その頃はチベットという国もありませんし、「ぷかぷかと」というイメージではないのは確かですが、こう考えると何かロマンというか楽しい夢を感じます。

ジュラ紀(1億9500万年~1億3500万年前)後期にゴンドワナ大陸がアフリカから分離し、白亜紀(1億4550万年~6550万年前)にさらにインド亜大陸がマダガスカルから分離・孤立し、北に移動しつづけ、ついにユーラシア・プレートにめりめりと衝突。その後もこの押しくら饅頭は現代まで続き、その結果できたのがヒマラヤ。現在でもこの押しくら饅頭は続いておりその結果、ヒマラヤは今でもその高さを増しつづけています。
マダガスカルは、現時点ではアフリカから500kmの距離ですが、先に離れて行ったインド亜大陸を追うように、北東に向かって移動し続けています。

この押しくら饅頭の最前線が、ネパールです。ユーラシア・プレートもインド亜大陸プレートも共に大陸型プレートで、比重が同じなため双方一歩も引かずがっちり四つ。その結果、ぶつかったあたりの筋肉が押されて盛り上がった、そこがヒマラヤです。
ユーラシア・プレートの東端にある日本列島も、太平洋プレートやフィリピン海プレートとぶつかっていますが、ユーラシア・プレートが大陸型プレートに対して、太平洋プレートとフィリピン海プレートは海洋型プレートです。この海洋型は、大陸型に比べて比重が重いので、ユーラシア・プレートの下にもぐり込もうとしています。
大陸型プレートの厚さは、100㎞位で、太平洋プレートは海の下の海嶺で湧き出ている所では10㎞位だそうですが、日本にぶつかっているあたりの厚さは70㎞位だそうです。今のところまわし充分、がっちり四つに組み時々、ユーラシア関が筋肉を震わせて何とか踏ん張っていますが、ついに太平洋関が潜り込み成功、なんていう事になると日本列島は海抜7万mの高地に。(なんていう事はないか!)
(ご専門の方からみると「何をばかなことを!」と言われるのでしょうが、素人はちょっとききかじったことで、面白い夢を見るものです。御免なさい。)
「日本沈没」という小松左京の名著がありますが、その名著の最後のエピローグの章は、『北半球の半分をおおうユーラシア大陸の東端で、いま、一頭の竜が死にかけていた。』という文章で始まり、日本列島を竜になぞらえて、火を噴きながら悶え苦しんで海に沈んでいくさまが描かれています。この部分は、実に迫力があり桃中軒雲右衛門に語ってもらいたいと思うほどです。

彼はこの名著の章ごとに日本列島のどの部分がどんな形で変化し、沈んでいくのかを計算しシミュレーション・モデル作ったそうです。その当時では珍しかった、四則演算の機能位しかできないにも拘らず数十万円もする13桁表示の計算機を購入し、それを駆使してそのシミュレーション・モデルを作ったのだそうです。しかし、9年間という長い著作期間の後、この名著が出来上がる頃には、5千円位でその計算機は買えるようになっていたそうです。しかし、すごい人が考えることは、私が考えるような単純な相撲モデルではないようです。

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