インド亜大陸とユーラシア大陸の四つ相撲現場
私は、このユーラシア・プレートとインド亜大陸プレートが正に其の四つ相撲を取っている土俵に登って、四つに組んでいる所を見てきました。以下がその相撲観戦記です。(前稿に引き続きこれからの文章も私が書くのですから、勝手に単純な相撲モデルを使いますよ。)
現在、中国に占領されているチベット国とネパールとの間に8000m級の山々を抱えるヒマラヤ山脈が走っていますが、一部はネパール国内に入り込んで、アンナプルナ・ヒマラヤ山脈を形作っています。そのアンナプルナ・ヒマラヤ山脈の北側に広がっているのが、嘗てのムスタン(Mustang)王国です。この王国は、2008年にネパールに併合され、なくなってしまいました。
ネパールには、ダサイン(Dasain)という10日間の秋祭り休暇があります。その休暇を利用して、ムスタン(Mustang)王国の首都ローマンタン(Lo-Manthang)までトレッキングしました。(トレッキングのお話は別の項でお話しします。)
アンナプルナI(8091m)の北側に回り込むと、そこは正にムスタン王国の入り口。そこにカグベニ(Kagbeni)という村があります。そこが正に四つ相撲の土俵。チベット国境からムスタン王国を縦断しアンナプルナ山脈の裾を巡って流れるカリ・ガンダキ・ナディ(Kali-Gandaki-Nadi)河が其の四つ相撲をまざまざと見せてくれます。
南から押してくる地層と、北でがっしりとそれを受け止める地層が、正に四つに組んでじっと土俵中央で動かず聳え立っていました。
そこは正に悠久の時の流れの地球の歴史の中の一齣を見せてくれている場所でした。
それまで荒々しく立ち上がったり、斜めに歪曲したりしていた地層は、チベット語で「肥沃な平原」の意味のムスタン王国に入ると全く平らな地層を見せていました。
(※これまで読んでいただいた皆様には、全く申し訳ないのですが、この項で述べたことは、学術的な見地から記載したものではありません。私が四つ相撲の場所をこの目で見たい、こうであればいいなと思う願望が強く入って述べておりますので、ご理解のほどお願いいたします。)