人の生活の中で音楽は大切で、なくてはならないものだと言われ、音楽と性犯罪率は比例していると言われています。事実、パキスタンで仕事をした時、街中で聞こえる音というのは、一日5回モスクから流れるコーランの響きだけで、殆ど音楽と言う類の音は聞けない状態でした。妻子から遠く離れて、一緒に仕事をしていた若いスタッフは「危なくて妻子を残して来られない。」と両親や姉妹の所に預けてきていました。新聞でも連日、そんな犯罪記事が出ており、其の率が多い事を報じていました。

私が働いていたパキスタンの街は、首都イスラマバードからカラコルム街道を車で6時間ほど行った「バタグラム」という「バタグラム県」の県庁所在地で、行った当初はジャズやクラシック音楽のカセットテープやCDを売る店が何軒かありました。

バタグラム県県庁所在地バタグラム

所が川向うまでタリバンが勢力を伸ばしてきた頃には、早々に店を閉めてしまい、音楽の元は全くなくなってしまいました。そうこうするうちに、一晩で外国援助機関の事務所が3か所も一度に爆破され、私も慌てて逃げだしました。これも音楽がないという結果なのかもしれません。

所が同じイスラムの国のインドネシアは、世界で一番イスラム教徒が多いと言われていますが、街だけではなく、田舎でも色々なジャンルの音楽が流れ、若者たちは色々な楽器を奏で、女性の服装は、開放的な状態ですが性犯罪は少ないと聞きました。

インドネシア・シムルー島で楽器をもって歩いている若者

仏教の声楽で「声明(しょうみょう)」というものが有ります。梵唄(ぼんばい)とも言うそうで余り抑揚の無い音が延々と続きます。16世紀頃のグレゴリア聖歌が長崎の隠れキリシタンの島で「歌おらしょ」(「おらしょ」はラテン語やポルトガル語の「祈り」と言う意味の「Oratio」)として残っていますが、この旋律は、声明ともお遍路さんの御詠歌にも良く似ています。また、エジプトで古代キリスト教と言われる「コプト教」のミサの音楽も、ボスニアヘルツェゴビナの東方正教のミサの音楽もこれによく似ていました。祈りの旋律は、基本的には同じルーツの音階を使っているのでしょうか?

人の猛々しい心を平安に導く宗教と音楽は深く結び付いています。このネパールには、色々な音や音楽が生活の中で息づき、人の生活を豊かにしている様な気がしてなりません。休日の朝、そんな気持で音を聞いていました。
皆さんが外国旅行でどこかの町に行ったとき、気を付けて耳を澄ませてそこに音楽が流れているか聴いてください。もし、音楽が聞こえてきたらまあ、安全と思ってください。勿論、これは私の判断基準ですが。