さて、本稿は、ネパールでのうのうと暮らしている「動物の幸福度」の話です。(当人?たちに言わせるとそれなりに心配事や悩みがあるかも??)
私の見る限り、「ネパールで暮らす動物のGNH(Gross National Happiness国民全体の幸福度)は、日本の動物たちより高いことは確実です」。それではその状況を幾つかお話ししましょう。勿論、動物のGNHを判断するに当たり、言語の問題もあり、それぞれの動物への聞き取り調査は行っておりません。あくまで私の主観的な観察から、確固たる信念をもって評価したものである事をお断りしておきます。
ネパールは、お釈迦様が生まれた国で、その仏教を生み出したヒンドゥー教の国ですので、牛(Cow或いはBull)は神聖な動物とされており、車道であろうと歩道であろうとのんびりと横たわっています。当然、彼らのGNHの項目の中で、「3.教育」を除いて全く問題はないはずです。
ただ、我々日本人からすると、大いなる差別があるのではないかと思う部分があります。肉屋に行きますと堂々と牛肉は売っているのです。それはバッファローBuffalo(アメリカの平原を闊歩しているバイソンの事ではなく、アジア各国の水田で働いている水牛)の肉です。同じウシ科にもかかわらず彼ら水牛のGNHの項目の中で1.心理的幸福や8.生活水準、9.自分の時間の使い方、などは最低でしょう。
ネパールの街のいたる所で、牛だけではなく歩道には沢山の犬がドデンと横たわっているのを見ます。チン、ポメラニアン、プードルなどそんな可愛らしい犬ではなく堂々とした犬が、『私の世界はここだ!』とばかりに歩道のど真ん中でお眠り遊ばされています。その堂々たる風情、実に立派です。
そこを通る大勢の人々は、そこに犬が寝ていることを当然と考え、起こしたりもしないし勿論、蹴とばすなどという失礼な真似もせず、跨いで通って行きます。犬のおやつ用の乾燥した鶏のささ身を鼻先に投げても『こんなもの食えるのか?』といった感じで匂いをかぎ、それからおもむろに食べますが、決して尻尾を振って感謝の意を表すことはしません。如何にも『お前が落としたから食べたまでだ。』という感じ。
どうも彼らの理論としては、自分の平安にたいして人間が抵触しない限りは不可侵であるという事のようです。この不可侵条約を人間も含め周りの動物が守っているのでしょうか、彼らが吠えている声を殆ど聞いたことがありません。
私が住んでいたアパートの近くの大きな寺院にたくさんの猿が住んでおり時折、アパートの庭にまで出没していました。
何時も朝になると、路上で猿にかぼちゃの種などの餌を近所の人が撒いているのですがその時、幾ら沢山の猿がいようと犬は「われ関せず」で、猿を見ても吠えもしません。
日本では「犬猿の仲」という言葉が有ったり、長野県では果樹園などの猿害を防ぐため犬を飼育・訓練したりしていますし、各地に犬と猿が争う昔話があります。
多分、ネパールの犬はそんなDNAを持っていないのでしょう。人間と犬との不可侵条約は、猿と犬の間にも結ばれているのでしょう。
しかし、猿と人間との間にはどうもこの不可侵条約は結ばれていないようです。私が近くの野菜市場で買った野菜を入れたビニール袋を見事、猿に取られたことがあります。周りに居たネパール人は、「よくあるんだ。」と言っていました。だからと言って、ネパールの人は猿を駆除するという事はありません。猿と人間との間の不可侵条約は、片務的なようです。一方、市場の肉屋や魚屋が低い台や地面に広げたシートの上に、商品を並べていても犬はそれを咥えて逃げるという事はありません。
こういう状況から判断すると、猿は勝手気ままにふるまい、追い払われもせずそのGNHは、相当高そうです。一方、ネパールでは多くの犬が狂犬病にかかっていると言われていますので、彼らのGNHで2.健康、3.教育、という項目では低い評価でしょうが、他は非常に高いと思われます。
私の毎日の通勤路に米、麦などを売っている穀物屋さんが在り、前を通るときは何時も若い店主が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいます。
所が何時も、店先の米袋の上にはハトや、雀の位の小鳥が数羽群がり、米をついばんでいるのです。すぐそばにいる店主に聞くと、『大した量でもないから。』というおおらかな返事。
お釈迦様が生まれた国だからなのでしょうか兎に角、ネパールの人は動物全般にわたって優しく接しているのです。これが「ネパールで暮らす動物のGNHは、日本の動物たちより高いことは確実です」と述べた所以です。
コメントを残す