一葉記念館から、さらに一ブロック進んで右折し30mほど進み、信号・飛不動前を左折しますと、すぐに飛不動尊(龍光山正宝院)の入口が目に入ります。「本尊の不動が一夜のうちに大峰山から飛んで帰って来た」事から、江戸時代では「道中安泰」、現代では特に「航空に携わる人々或いは飛行機の旅の安泰」を願う人々の参拝を集め、「飛行護」というお守りを授与しています。しかし、パイロットが本殿の前で熱心に祈り、お守りを買う姿は余り見たくはありませんね。飛行機への信頼感が揺らぎます。

此処を出て右に進むとすぐに五差路にでて、斜めに走る少し太い道を右に行くと、すぐに国際通りの信号・西徳寺前と言う交差点に出ます。道路を渡り少し三ノ輪方向に戻り、二つ目の角を左折すると、大音寺の入口です。大音寺は「たけくらべ」の真如が育った龍華寺のモデルと言われていますが、落語の「悋気の火の玉」の舞台としても知られています。「吉原の遊女上がりの妾と本妻の火の玉が大音寺の前でぶつかり合い、大音響を立て・・・」と言う話ですが、吉原、根岸の里と言うとこの手の落語が生まれます。

この大音寺の先に正燈寺という寺があります。この寺は360年以上前に京都の高尾から紅葉を移植し、江戸時代の名所絵図には紅葉寺として登場するほどの景勝地で、その見物を口実に吉原遊郭に遊ぶ客が多かった所です。『鬼平犯科帳』『御宿かわせみ』などの時代物には登場する寺で、江戸末期の地図では敷地も大きく大音寺、その南隣りの西徳寺などと接し、景勝地と言われる規模を誇りましたが、今は残念ながら規模も小さく紅葉は見られなくなってしまいました。

先ほどの信号・西徳寺前に西徳寺という寺があります。この寺は大正12年の関東大震災で本堂が全壊しましたが、昭和5年に参詣席が椅子席で、鉄筋コンクリート造の本堂が再建されました。時代を先取りした寺院建築史の一頁を開く建物で、建築にたずさわる者としては見ておきたい施設です。

西徳寺の山門を出て右方向50mほどに信号・鷲神社前があります。この信号を右折し最初の角を曲がると普茶料理・梵(ぼん、台東区竜泉1-2-11 TEL 03-3872-0375)があります。
普茶料理は約300年前、明の隠元禅師が来日した折より伝わる精進料理で、これが野菜だけで作る料理かと目を見張ります。多くの料理が次々に出てきますが、簡単にお腹に入って行き、ちっとももたれません。

梵のメニュー

 

この店は予約が必要ですが、今まで覗いた所の開館時間や参拝時間を考えると、食事を始める時間は、少し早目ですが5時だと適当でしょう。三ノ輪を2時に出発しゆっくり回っても3時間あれば十分です。1時間の食事の後、暗くなって鷲神社の明るく華やかに灯る店・店を回りたいものです。

この時間には、鷲神社の鳥居の前にはものすごい行列が出来、物々しく警察の警備車両が並び、さすが江戸から続く祭りとうならせる雰囲気です。大きい熊手、小さな熊手、おかめの面が付いたもの、枡がついたもの、形も大きさも色々。色々な光に華々しく浮かび上がる日本の色の洪水。
勿論、熊手の値段も色々で値切る交渉もそれぞれ。ただ、それも遊びのうち、熊手の原価計算をしても野暮というもの。値切って値が決まると、ご祝儀に元の値段以上に払って、しゃんしゃんと手締め。これが粋というもの。

さて、ゆっくりと酉の市を楽しんだ後、国際通りをさらに三ノ輪とは反対方向に進むと、信号・西浅草3丁目の先の右手に浅草ビューホテルがあります。此処まで鷲神社から15分も掛らないでしょう。つくばエクスプレス出入り口2番に近いビューホテルの角を右に入ると、「バーリー浅草」(台東区西浅草3-15-11、電話:03-3847-1066 営業時間:平日・土日祝日 18:00~1:00)というバーが左手にあります。
このバーは昭和63年創業の落ち着いた大人のバーという雰囲気で、今日の散歩を締めくくるにはふさわしい所です。『酒を飲む所で女の話は野暮というもの』という思いが脳裏をかすめますが、はかなくも24歳の短い人生を生きた明治文学の美女を語る事は許してくれそうです。

樋口一葉照影

ゆっくりと時間が過ぎるのを楽しみ、帰りは目の前の「国際通り」に埋まっている「つくばエクスプレス」の「浅草駅」も、銀座線「田原町」、「浅草」も至近距離です。