季節毎の祭り、芸能、花、時には花より団子などを追いながら、ぶらりと気楽に散歩すると言う「阿寒平太の覗き見散歩」を次回の稿からからご紹介します。

次回の稿では、浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)で行われるお酉様(おとりさま)が主題ですので本稿ではお酉さまについて少しお話しします。

11月=霜月には「お酉様(おとりさま)」が2回或いは3回あります。その11月の酉(とり)の日に開かれるのが酉の市です。『もう、お酉さまか、すぐに師走だな。』と言う感覚を江戸時代の人は持っていました。2018年の酉の市は、3の酉まであり11月1,13,25日、は2019年11月8、20日です。

鷲宮(わしのみや)神社

酉の市は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際に戦勝祈願を、鷲宮神社(埼玉県久喜市)で行い、戦勝報告を11月の酉の日に足立区花畑にある大鷲神社(鷲大明神)で行ったことから、11月酉の日を鷲神社、酉の寺、大鳥神社など鷲や鳥にちなむ寺社の年中行事として定着したといわれています。

このような寺社の年中行事が、神仏混淆の民衆の信仰に根ざした商売繁盛を願う「市」と結びつき関東一円に広まり、さらに寺でも神社でもご本尊の御開帳などの寺社行事と結びついて、民衆の間に強く根差していったのでしょう。

ちなみに酉の市で売られる熊手は、日本武尊が鷲神社に戦勝のお礼参りをした際、社前の松に武具の熊手(戦場で敵を馬から引き落とし、盾や塀を引き倒し、高所に登る際に用いた。)を立て掛けたことから、熊手を縁起物とするとしたそうです。

武器として使われていた熊手

浅草の長国寺内の鷲(おおとり)大明神社は、江戸時代に妙見様と言われ、勝海舟やその他多くの人々の信仰を集めましたが、そのご本尊は鷲の背に乗った釈迦とされています。この鷲大明神社は、明治初年に出された神仏分離令で、長国寺から分離し鷲神社になりました。明治維新と言う大きな宗教革命により民衆の間に根付いた多くの祭りや信仰が消滅しましたが、その嵐に耐えて「酉の市」が残ってくれた事はうれしい事です。季節毎の祭り、芸能、花、時には花より団子などを追いながら、ぶらりと気楽に散歩すると言う「阿寒平太の覗き見散歩」を今回からご紹介します。

11月=霜月には「お酉様(おとりさま)」が2回或いは3回あります。その11月の酉(とり)の日に開かれるのが酉の市です。『もう、お酉さまか、すぐに師走だな。』と言う感覚を江戸時代の人は持っていました。お酉さまは霜月の酉の日に開催される関東の祭りで、もともとは神仏混淆の民衆の信仰に根ざした商売繁盛を願う「市」で、寺でも神社でもご本尊の御開帳や市が立ちます。

お酉様の賑わい

浅草の長国寺内の鷲(おおとり)大明神社は、江戸時代に妙見様と言われ、勝海舟やその他多くの人々の信仰を集めましたが、そのご本尊は鷲の背に乗った釈迦とされています。この鷲大明神社は、明治初年に出された神仏分離令で、長国寺から分離し鷲神社になりました。明治維新と言う大きな宗教革命により民衆の間に根付いた多くの祭りや信仰が消滅しましたが、その嵐に耐えて「酉の市」が残ってくれた事はうれしい事です。