古代では農作物や狩りの収穫は、今以上に季節や天候に左右されその為、古代の宗教者は今の「お天気お姉さん」のような役割も担っていました。古代の建造物で、春分や秋分の日の出に光が建物の一点に射すようになっているものや、明日の天気を見る物見台を備え、一種の天文台になっている施設はインカやエジプトを含め世界に広く見られます。この流れから今でも多くの宗教施設は、その軸方向が決まっています。

東方教会(Orthodox Church、キリスト教の分派、ロシア正教会、アルメニア正教会、シリア正教会、コプト教会など)は、祈りの方向が東である為、建物軸は東西になっています。所が以前、ボスニア・ヘルツェゴビナ国で仕事をした際、奇妙な東方教会を見ました。敷地に新旧の二つの教会が建っており、古い教会の軸は正確に東西をむいていますが、新築の教会の軸が10度以上ずれているのです。(写真1の左後ろの白い建物が古い教会で建物の軸線は正確に東西だが、手前の教会の軸線はずれて反時計回りに回転している。)

東方教会

早速、司祭に訊ねてみると、「教会の軸線がずれても問題ない。敷地の前を通るMotor-way(高速道路)に軸線を合わせた。」との事。怒り心頭に達し「宗教施設をなんと考える!神様は車で出勤するのか!」と思いましたが、ふと南極や北極に立った東方教徒はどの方向に祈るのかと言う自問に答える確たる知識もなく、全ての融和を考える仏教徒として素直に引き下がってきました。

イスラム教では、祈る方向は厳密にメッカの方向ですので、この南極、北極と言う問題もなく、教会の建物(モスク)としての軸線もそれほど厳密ではありません。キリスト教の教会を、イスラム教会として使っている建物では、建物軸線と内部で行われる礼拝儀式の方向が異なっていました。

イスラム教のプリミティブな祈りの場

この写真は、非常にプリミティブな旅人用のモスクで、イスラム諸国ではよく見られるものです。祈りの前に手足を洗い、口をゆすぐために川の傍にあり、目印の大きな樹が立ち、数人が祈りをあげられるようにモルタル仕上げの床があります。

つい先頃、Pakistanで130床の病院建築を監理した際の事ですが竣工2か月前、隣接したモスクの僧侶が現場の視察後、トイレの便器方向を変えろ、もし、変えないなら我々がぶっ壊すと強硬な指示。便器の方向がメッカの方向に向いているとの理由ですが、建物の軸線も便器も正確にはメッカ方向ではないのですが、大体その方角に向いているという事だけでこの指示。色々なイスラム諸国で仕事をしましたが、これは初めての経験でしたが、スタッフの話ではパキスタンではあり得るとの事。近くを流れるインダス河の川向うまで厳格な原理主義のタリバーンの勢力が迫っている中で、議論の余地はなく即、変更しましたが、なかなか理解に苦しむ状況でした。プリミティブな祈りから始まった宗教の発展(?)と、プリミティブな人間の生活との結びつきを、どのように解釈すればいいのでしょうか。