菅原考標(すがわらたかすえ)女(1008~1059年)が綴った『更級日記』の中に、上総介であった父に同行し、上総国から帰郷する際、「まつさとのわたりの津」(現・千葉県松戸市)を通って西に向かったとかかれています。平安から源平時代にかけては世紀以降、最大の温暖期で現・東京湾もかなり内陸まで入込んでおり、この時期の官道は北のほうに移動していたようです。

さて、これまでの色々なお話で昔の隅田川が川岸の風景が目に浮かんできます。それは見渡す限りの葦原です。(目をつぶらないとそんなイメージは浮かんできませんが。)しかし、江戸時代には、浅草近辺は諸国貿易の中心地でしたので両側に倉庫や店がずらりと並んで居ました。江戸時代はこの辺りの隅田川を「おおかわ」と言い、東岸を隅田川堤、西岸を大川端といいました。

それでは阿寒平太の覗き見散歩のルートです。日の出桟橋から乗った水上バスを大川端の浅草で降ります。江戸時代でしたら芝居茶屋や新吉原の茶屋の出迎えを受け、手を添えられて船から下りるのですが、今はそんな悠長なことをしてくれる人もなし、さっさと降りましょう。

降りた所が墨田公園の直ぐ横ですが、この公園の桜も実に見事です。水上バス乗り場の前の墨田公園駐輪場で台東区のレンタサイクル(6時から20時までで身分証明書の提示が必要です。利用料金は200円/日 墨田区道路交通課 自転車対策担当 TEL03-5246-1305)を借りてさて、歴史散歩に出発です。

隅田川堤の長命寺から梅若塚・木母寺を回り、大川端に戻り昔の新吉原を突き切って、鳳神社に寄って、浅草寺にお参りし出発点の墨田公園駐輪場に戻ります。全工程約9kmのサイクリングです。

長命寺には琵琶湖竹生島の弁財天の分身が祭られております。琵琶を持った色っぽい神様で知られる弁財天は、もともとはインドの河(水)の神様でしたが、日本に伝わってからは弁舌や音楽を司る芸能の神様として信仰されています。境内には芭蕉の句碑や十返舎一九の辞世の狂歌碑や色々な歴史的なものがありますが、ここで重要なことは門前の『山本や』の二百数十年の味を伝えている桜餅です。関西の道明寺の桜餅と違って、円形のクレープの様な薄皮で甘さを抑えた餡を包み、それを桜葉で包んであります。此処に寄って桜餅を食べながらお茶を飲む、これは素晴らしいことです。(これは全く余計なことですが昔、向島で芸者遊びのお土産は決まってこの桜餅でした。)

その次が江戸時代から昭和まで長い間続いた新吉原です。日本橋辺りにあった吉原を江戸の町の発展に伴い移した所で、今は千束4丁目ですがその面影を残し、風俗営業の店がずらり。夕方にはとても素通りが難しい所ですが、昼間は全て閉まっています。地図を見ながら周ると良くわかりますが、昔の新吉原を囲っていた鉄漿(おはぐろ)溝(どぶ)が道となってこの地域を四角く囲っています。
此処から鳳神社、浅草寺と回り出発点の水上バス乗り場に戻りますが、桜を見たり途中で桜餅を食べたりで、のんびり時間を過ごし夕方、5時頃に戻る計画で回ってください。

頃も良し、江戸時代での時刻では日没の暮れ六つ。浅草寺周辺にはなかなかおいしい店がそろっています。より取り見取り、それほど老舗が多く迷った末今回は店を選びません。
お腹を楽しませた後、今日の締めくくりは、明治13年(1880年)創業
「神谷バー」(台東区浅草1丁目1番1号TEL (03)3841-5400)です。

ここでかの有名な「デンキブラン」というブランデー・ベースのカクテルが出来たのは明治15年(1882年)、建物は大正10年に建てた物を現在も使用、と言う兎に角、歴史を感じさせる建物。此処の3階の和風レストランで食事と言う案もあるが、やはり食事をした後、ぶらりとバーに入ると言う過程が大切。
まっ、人それぞれでしょうけど。

酔ってふらっとする間もなく、地下鉄・東京メトロの浅草駅。花と歴史と芸能を楽しんだ一日でした。

隅田川の桜