阿寒平太の世界雑記

World notebook by Akanbehda

ネパールという多民族・多宗教の国

ネパールの国勢調査の稿で、若い年代の結婚について書きましたが、この稿では、私たちのような島国に住んでいる民族にはあまり縁のない多民族・多宗教についてネパールの国勢調査に現れた民族、宗教をご紹介しましょう。

ネワール族の新年の時の民族衣装の少女たち

さてネパールという国ですが、皆さんご存知ようにヒンドゥー教の国で、カーストという特有の身分制度があります。ネパールのカーストには、バウン(司祭カースト)、チェトリ(王侯、軍人カースト)、カミ(鍛冶屋カースト)、ダマイ(仕立屋カースト)などがありますが、インドと違ってネパールのカーストは民族と結びついているので複雑になっています。しかし、カーストいうのは単に「生まれが同じ集団」という意味ですが実生活では、それぞれが独自の暦(暦については別稿でご紹介します。)を持っており、習慣も違うし、今でも女性が結婚する場合は様々な足かせとなっています。また、不可触民(ダリット)「カミ」は寺院に入ることや共同の井戸から水を飲むことなどが禁止されているそうです。(カーストは生まれ変わるまで付きまとう余計なものですが、インドでは最下層と言われるカーストの自殺者は他の層より多いという統計があります。現代インドにおける仏教の復興は、カースト差別の否定が主な原動力となっているそうです。)

国勢調査のカースト毎の人口(Population by caste/ethnicity)に記載されている表には、民族という言葉と同意語として集計していますが、なんとその数は129もあります。下の表がその抜粋です。

Table 20: by caste/ethnicity

  Caste/Ethnicity Population(人)
1 Chhetree 4,398,053
2 Brahman-Hill 3,226,903
・・・・ ・・・
127 Raute 618
128 Nurang 278
129 Kusunda 273

何と一番少ないカーストは、たった273人しかいません。このカーストを民族と呼ぶとしたら、本当に絶滅危惧種なのではと考えてしまします。人類は、動植物の場合ほど人間の絶滅危惧種に親切ではありませんので、将来どうなるのか心配です。

さらに驚くことにこの国勢調査の中に、祖語(Mother tongue)毎の人口集計がありますが、そこにはこの129のカーストのlistが並んでいました。ネパールは現在、七つの州の行政区画があり、その下部行政区画として全体で75郡に分かれています。昔、ネパールは此の数に匹敵するくらいの小国に分かれていました。そんな歴史の結果が129の言語、民族という結果なのでしょうか??

 

最初にネパールは、ヒンドゥー教の国と書きましたが、そうでもないのです。下の表は国勢調査の宗教ごとの人口です。この調査結果ではヒンドゥー教徒は81%だけで、19%は他の宗教なのです。この数字は、イスラム教徒とコプト教(原始キリスト教)の国と言われるエジプトで、コプト教徒の率はわずか3%という事と比較すると大きい数字です。ネパールには「仏教の日」や「クリスマス」という国の祝祭日ではない「宗教の祝日」があるのですが、他宗教の人も同じように休みます。これは他宗教の比率が高いから、宗教間の安定を図る意味もあるのかもしれません。(単に仕事をしなくていいと理由づけて休むのかも??)

Population by religion
Religion Persons %
Hindu 21,551,492 81.34
Buddhism 2,396,099 9.04
Islam 1,162,370 4.39
Kirat 807,169 3.05
Christianity 375,699 1.42
Prakriti 121,982 0.46
Bon 13,006 0.05
Jainism 3,214 0.01
Bahai 1,283 0.0048
Sikhism 609 0.0023
Undefined 61,581 0.2324
Total 26,494,504 100

(国勢調査の宗教ごとの人口)

日本のキリスト教徒は1%、仏教徒75%程度という資料がありますが、宗教的なお休みは全くありません。日本は戦後、宗教、信仰というものに対して正しい理解を避けて正面から向き合っていない事が一つの理由なのかもしれません。宗教とは言えませんが、正月は神社に、葬式は寺に、お盆には寺に、クリスマスには家族・友人でプレゼントを交換し、と言うようにイベントごとに宗教施設と気楽に付き合っているのが日本流なのかもしれません。

 

しかし、この様なネパールの状況を観察していくと、つくづく日本という海に囲まれた島で、殆ど単一の民族と言う感覚が持てる国に生まれた幸せをしみじみ感じます。ネパールは小王国が統一されたのちも王政でしたが、内戦が起こり共和制に生まれ替わりました。日本は単一の民族の国という共通認識の元に、我々の先祖は「王政」とは異なる「万世一系の天皇制」というストーリーを組み立て、平安時代から現代までも続いている国の安定を可能にしました。この先祖の知恵に対して本当に感謝しなければと思います。また、太平洋戦争当時、アメリカは日本を「菊と刀」に記されているように徹底的に日本民族の根本を分析し、この天皇制という制度は占領統治に絶対に必要だと判断し維持しましたが、その判断は今も有効に機能しています。

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2件のコメント

  1. 鷲鷹

    昨日はありがとうございました。
    この素晴らしいブログのご紹介を受けて、早速この記事に目を通して私なりに理解したことは日本にある多くのインド料理店は、実はネパール人が経営している理由です。
    このようなカースト制度、民族の多様性を見ると出稼ぎに出るのが当然かもしれませんね。ワルシャワのインド料理店もネパール人が経営していました。
    ご承知の通り、外国にある日本料理店も中国、韓国人が経営しているところが非常に多いのですが、彼らは一様に「インド料理」や「日本料理」という看板が欲しいのでしょうね。
    これからもボチボチ拝読させて頂きます。

  2. 阿寒平太

    お読み頂き有り難う御座います。一昨日は色々とお話しして時間を忘れ長居してしまい失礼しました。また、御時間がある時に愚作をお読みいただければ幸いです。

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