東日本大震災で亡くなられた方の土葬が新聞で報じられ又、最近、「直葬(ちょくそう)」(臨終後、通夜や葬儀をせずに火葬場で見送る形式の葬儀)や千の風にのって「散骨」する等、新しい弔いの形が話題に成っています。また、国際テロ組織指導者のオサマ・ビンラディン容疑者の遺体が水葬され、イスラム教の弔い儀式と違うと言う事も話題に成りました。この稿では、人を弔う形や意味についてお話ししたいと思います。
尚、この稿では、弔いに関連する様々な事を浅薄な知識で書いておりますが、これは私が海外の様々な国を廻った時に見聞きした物を纏めたもので学術的に調べた物ではありませんのでその点をお断りしておきます。
お葬式の方法は、その国の風土や昔からのしきたり、宗教などを反映して様々です。 日本では亡くなったその夜に「通夜」を行います。この「通夜」と言うのは、殯(もがり)の風習の残りと言われています。殯は古代に行われていた貴人を本葬前に仮に祀る葬式儀礼で長い間、仮安置する事で遺体の腐敗、白骨化の変化から死を確認すると言う意味がありました。古代の日本や韓国では1年、時には3年以上も殯の儀礼が続いた事があったそうです。 殯や通夜と言う風習は、仏教だけではなく、神道やキリスト教でも似たような儀式があり、亡くなった人との別れの時を大切に思う人の気持ちから自然に生まれたのでしょう。
昔、インドネシアのジャワ島などでは石を井桁に積んだ石室に遺体を安置し、鳥や昆虫、腐敗菌などにより白骨化させ、1年後に親戚一同が集まり、残った骨を川で洗い清め、壺に入れて石室の下にある墓に納めると言う「洗骨」の風習がありました。この風習は、海洋民族であるインドネシア人の広範囲な移動に伴いマダガスカル島や沖縄まで広がっていました。沖縄の古いお墓は、納骨をする部屋の前に広い場所があり、古くはここに遺体を安置し、殯から洗骨までの儀式を行っていたそうです。
「火葬」と言う新しい弔いの形が出来て、殯や洗骨と言う風習も無くなっています。現在、インドネシアでも火葬が一般的になり、高温多湿の気候の中で腐敗を防ぎ衛生面に配慮し『人が死去するとその日の太陽が沈む前に火葬する』と言うように風習が変化してきています。火葬は沢山の薪や燃えにくい遺体を燃やすと言う技術が必要で、日本ではこの風習は、近代まで一般的ではありませんでした。しかし、仏教の経典の中に『喜見菩薩は、法華経と如来を供養するためにご自身の身を捧げようと決意し、体に火をつけて1200年燃えつづけた。』との記述があり仏教徒の間では火葬の風習は根付きました。
明治政府は明治6年(1873年)に神仏分離令に関連して火葬禁止令を布告しましたが、仏教徒からの反発と衛生面の問題から2年後の明治8年にこの火葬禁止令を廃止しています。
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