文化のガラパゴス現象と言う言葉をご存知でしょうか。これは、文化は発祥した所から遠く離れた辺境の地では純粋な形で残ると言う意味です。ローマ時代に使われていたラテン語は、ローマの覇権の拡張と共にヨーロッパの広い地域に広まり、キリスト教の教義を語る言葉として使われましたが、ドイツのラテン語はイタリアで使われるラテン語に比べ、より古い形で残っているそうです。日本語を話すブラジルの人の中に、素晴らしく綺麗で丁寧な日本語を話す人がいますがこれも戦後、ブラジルに移民した人々が残した日本語文化を純粋な形で継承した結果なのでしょう。
故国から遠く離れて生活する人々は、そのDNAに刷り込まれた故郷の文化を懐かしみながら再現しようとします。ここで話しする事は、エジプトと言う日本から遠く離れた地で日本の祭りを懐かしみ、神輿を作成したと言う文化のガラパゴス現象の一つの記録です。
[発端・獅子頭から神輿に]
私が日本の建設会社のエジプト支店に勤めていた時の事です。エジプト日本人会では、正月に獅子舞を披露していましたが、その獅子頭は貧相な段ボール製。同僚と「あの獅子頭、何とかならないかね? 伝統工芸品だから多分、二百万円位はする。写真で撮ってくれば、木を加工して出来るかも!」と言うのが神輿製作の発端でした。
日本に出張した際、浅草の創業文久元年、宮内庁御用達と言う店を訪ねると、在るわ!在るわ!大小様々な獅子頭の行列。(この時始めて獅子頭に雌雄が在るのを知りました。) 値段はと見れば、確かに頭に15とか20とかの数字の後に、ゼロが並んでおり、想像通りかと思いながらスパイもどきに隠し撮り。(この店内は全て撮影禁止)
隠し撮りも終って横に並んでいる神輿の値段を見ると、大体1500万円から4000万円。店を出る前、見納めにともう一度、獅子頭の値段を見ると神輿より二つもゼロが少ない。それではと勇んで購入し、これで獅子頭の件は一件落着。さて、獅子頭を作る必要が無くなるとがぜんほしくなるのが神輿。これは何度見ても値段のゼロは減らない。
[資料集め・プラモデルと実物調査]
その後、獅子頭を収めた箱を抱えて浅草の松屋デパートのおもちゃ売り場に一直線。そこで8000円也の神輿のプラモデルを購入。(これを元に神輿を作ろうと言う大胆な発想。) さてエジプトでこのプラモを前にして、寺社建築の経験が全くない日本人の大工さんとコンクリートしか知らない建築技術者で侃々諤々。そして「何とか作れるんじゃないの。」と大胆不敵な結論。しかし、大胆とは言えプラモだけでは何とも心細い。そこで大工さんが日本へ一時帰国の際、氏の郷里の日田市の山の奥の奥に在る由緒ある大原神社の神輿を調査。渋る宮司を説得し、寸法を取り、写真撮影。さて、これで何とか資料は集まり制作開始。
[制作方針・日本の技術移転]
先の浅草の老舗には神輿の部品と言う部品、全て売っているが、それを買っていたのでは直ぐにウン百万円になってしまう。大企業とは言え地の果ての末端組織でそんなことに金を出しては首が飛ぶ。 そこで考えたのがOJT(オンザジョブトレーニン)。全て現地生産し、エジプトの大工さんに伝統的な木造建築のノウハウと日本的な道具の使用方法、日本的な金物の細工について教えるという理由付けをして制作開始。
[木工事]
日本人の大工さんの下にエジプ人大工さんを5名配置し、材料は台輪と羽目板部分にスエーデン産の松材を使い他は全てエジプト産ブナ材を使用した。
まず、プラモと実測資料を元に日本人の大工さんが部品を一つ作り、それをエジプト人大工さんが作成すると言うステップで造って行った。屋根の出を支える枡組み、垂木の部品だけでも200以上もある。2月に着工以来5か月間掛って木工事が完成。次ぎは塗装工事。
[塗装工事]
神輿はとにかく派手がいい。金ぴかで、赤や茶が在ったり、螺鈿があったり。勝手にイメージしていたが調べるとやはり原則は在った。
本来、神輿の色は枡組から屋根に掛けては大体金色に塗装され、屋根は黒漆か茶系統の螺細塗装されるのが普通。しかし、エジプトでは螺鈿も漆もなく、まして細かい枡組の部分などで塗り分けを要求したら折角、作った神輿を台無しにされる。結局、以前担いだ事があるカラス神輿に似せ鳥居、欄干以外は全く真っ黒に塗装する事に決定。塗料は何とか漆の感じに見え、長期の耐候性、耐水性を考えウレタン塗料4回塗りとした。下地、塗装、水研ぎの工程を繰り返し塗装工程の完了。
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