今回の「阿寒平太の覗き見散歩」は、色々な睦びを訪ねる散歩です。江戸時代からの芸能「落語」を覗き、明治時代からの牛鍋に舌鼓を打ち、1月25日に行われる湯島天神の「鷽替神事」を訪ねた後、その名前も散歩を締めくくるにふさわしい大人のバーOnce upon a time(ワンスアポン・ア・タイム=昔々)で酒を楽しむと言うものです。
今回の散歩は上野の「鈴本演芸場」が出発点です。鈴本演芸場(開業1857年)は、江戸時代から大衆芸能、特に落語の殿堂でした。江戸時代では落語の他に浄瑠璃・軍事読み(講談)・手妻(奇術)・八人芸(一人で八人分の楽器の鳴り物や声色などを聞かせる芸で腹話術の原型)・説教・祭文・物真似などが上演され、安政年間(1854-1860)江戸には落語・講談の寄席が合計して約四百軒もあり、江戸時代に如何に素晴らしい大衆文化が花咲いたかわかります。 落語の歴史は何時からと言うのは難しく、『徒然草』(1330年)の兼好法師が『落語系図』に名をつらねて、落語の歴史の上に噺家として登場していることからも古い歴史がわかります。
落語には「落ち(サゲ)」、語り口(弁舌)の上手さ、仕型(仕形・仕方=身振り手振り、表情)の3つが大切です。落語は、しゃべるだけでなく、高座に正座して上半身の洗練された身振り手振りや表情によって、用いる道具も普通は扇子と手拭いだけで、一人で大勢の登場人物や情景を描写しわけなければなりません。それを見るのが寄席の楽しさです。
初天神の落語と言えば、落語「初天神」があります。『何時も物を買ってくれとねだる息子をしぶしぶと初天神につれてきた男。何やかやとねだる息子の作戦に負け、ついに大きな凧を買うはめに。子供時代腕に覚えがある男は、子供を差し置き、凧上げに夢中になり、子供は「こんな事なら親父なんか連れてくるんではなかった。」とぼやく。』 当日、この落語がうまい具合に聴けるかどうかは「鈴本演芸場」のHP(http://www.rakugo.or.jp/)をご覧ください。
さて鈴本演芸場には昼の部中入り(午後3時位)に入ります。勿論、座る前に売店でビール或いはコップ酒とつまみを買って落語を見ながら、ごくごく、ちびちび、飲みながら、つまみながら。これが又、寄席の楽しさです。二時間ほど楽しんで出ます。
鈴本演芸場の前の広い道路は、江戸幕府が火災発生の際に類焼を防ぐ為道幅を拡げた所で、今の道路幅はそのままです。この辺りは江戸時代に幕府の茶礼.茶器をつかさどり、殿中に於いて茶を供する数寄屋坊主が拝領した拝領町屋で、下谷御数奇屋町と言いました。さてこの上野広小路から春日通りに入り、湯島天神下までは江戸時代には無かった道ですが、湯島切通し坂は江戸時代のままです。
湯島天神の下を通り、少し切通し坂を上ると左側に江知勝(文京区湯島2-31-23、電話 03-3811-5293営業時間17:00~21:30)があります。ここは、創業明治4年ごろと伝えられている牛鍋屋です。明治8年の毎日新聞には、鍋料理の番付表で前頭にランクインしている老舗中の老舗です。味付けに使う割り下は、伝統的な関東風でちょっぴり辛口。しょうゆと砂糖、みりんといたってシンプルですが、何と開店当初から130年間使い続けているものだそうです。東京帝国大学のすぐ裏と言う場所柄、文人、教授などの溜まり場だったとの事。
ここで明治の味を楽しみ、お腹一杯になった所で食後の散歩に湯島天神まで。ここで木彫りの「鷽」を授与してもらいます。ここは江戸時代から梅の名所として庶民に親しまれて、園内には約300本の梅がありますが、ここの梅祭りは2月8日~3月8日の1ヶ月間ですが、早いものはこの「初天神」には咲いています。
この神社は明治の文豪・泉 鏡花の小説『婦系図(おんなけいず)』の結ばれぬ「お蔦、主税」の悲恋の舞台としても有名で、境内には鏡花の「筆塚」もあります。この境内の開門時間は午後8時迄ですのでご注意ください。
現在の本殿は平成7年12月に、総桧木造りで建て直されましたがその際、日本初の建設大臣認定第一号として木造建築が許可されました。建築に携わる人には一見の価値ありです。
湯島切通し坂を天神下の信号まで下りて、そこを右折し神田方向に約300m歩き左折して二つ目のブロックにOnce Upon a Time(=昔々 住所:台東区上野1-3-3 電話:03-3836-3799)と言うバーがあります。江戸、明治時代と巡って来た散歩を締めくくる所がこのバーです。古い倉庫を思わせる明治初期のレンガの外壁にOnce Upon a Timeと言う赤いネオンが点き、入ると古い木材を使った内装。酒だけを飲ませると言う雰囲気の大人のバー。そんなバーの片隅に座り「お蔦」と言う昔の女に思いを馳せながら、今日の散歩を終わりにしましょう。ここは営団地下鉄千代田線「湯島駅」迄歩いて3分の位置です。
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