2010年、『オペラ連盟が文化庁からの支援金を水増し』、『景気の影響で海外オペラや音楽の来日公演は、2008年比で1/3以下減少』など芸術オペラとは違う面のニュースが流れましたが、今回はオペラ劇場に纏わる芸術には余り関係のないお話しをしましょう。

[オペラ劇場と政治の世界]
昔の事ですが、私が建設会社の技術者だった時、エジプトでオペラ劇場を建てた事があります(1988年落成式)。このオペラ劇場は、日本からエジプトへの贈り物として建てられました。

エジプトは、スエズ運河の開通記念式典(1869年)に招いた多くのヨーロッパの王侯貴族を歓待する為にオペラ劇場を造りました。このバレー、演奏、声楽に演技が加わったオペラと言う複合芸術の場は、エジプトの音楽レベルを高い水準にしましたが、残念な事に1971年に焼失してしまい、育った芸術家たちはヨーロッパに散って行きました。

そこで日本からの贈り物のオペラ劇場です。日本・エジプトの友好強化、教育水準向上などODAとして色々な理由はありましたがその当時、日本にはオペラ劇場は無く、日本の国会では「自国にもないものを贈るとは!」と言う事で紛糾しました。しかし、ヨーロッパの諸国は、オペラ劇場をプレゼントしたと言う事で日本の文化度を高く評価し、エジプトでも記念切手や絵葉書が多数発行されました。因みにその時に日本側がつけたプロジェクト名は「エジプト教育文化センター」と言う隠れ蓑的な名前でしたが。この時の駐エジプト日本大使は、バレーの筋書きの作家で大のオペラファンだったとの話も聞きました。

日本で寄贈したオペラハウスを記念して発行された絵葉書

 

日本の寄贈したオペラハウスの記念切手及びシート

さて、私はこのオペラ劇場建設の際に、劇場設計、音響、照明、舞台装置など其々の専門家の方々と、ヨーロッパ諸国のオペラ劇場の調査を行いました。昼は調査、夜はオペラ、レヴューを見て、見終わると舞台比較論に明け暮れる毎日で、実にハードな業務出張でしたが夢のような素晴らしい時間を過ごしました。