タブー(Taboo)と言う言葉があります。「社会生活の中で何をしてはならない」と言う行動を規制する規範を表しますが、元々はポリネシア語のTabuが語源で、ジェームス・クックが、その旅行記でポリネシアの風習を紹介する際に使い広まった言葉で、日本では「禁忌(きんき)」と訳されています。

この禁忌の中に「血」と言う物もあげられます。しかし、この「血」は時には死との繋がりから「穢れ(けがれ)」として忌避され、時には「血の繋がり」や「子孫繁栄・生命力」など生命を象徴し、日本語としても単に「禁忌」の意味だけではなく反対の「好ましい物・清浄」と言う意味も持ち両義性があります。世界の国々でも「血」についての考え方は様々です。

最後の晩餐

キリスト教では、イエスの最後の晩餐での「パンとワイン」を「肉と血」になぞらえていて、我々日本人とは違った思いを「血」について持っています。

パンとワイン・肉と血

今から20年以上前、私がエジプトに住んでいた際、借りていたアパートの部屋の模様替えの為に大きな本棚を動かした時、丁度本棚のうしろの壁に茶色の手の痕が無数についていました。会社のスタッフに聞くと、オーナーがその部屋が災難にも会わず使い続けられるようにと、生贄の血を壁につけたものとの事。「生贄の血と言うのは何なんだ?」と聞くと、通常は羊か牛との事でしたが、何か気味が悪く、模様替えは中止。

いすゞ自動車とGMとのエジプト合弁会社の工場が完成し、1号車がラインから出てきた際に、その車体全体も真っ赤な手形で覆われていました。これも生贄の牛の血でした。

エジプトの首都カイロは、エジプト4000年の歴史を展示するカイロ博物館でも有名ですが、スエズ運河の開通を祝って1869年にカイロ・オペラハウスが作られた事でも有名です。それ以来、カイロは中近東、アフリカでの音楽文化の中心となりましたが、残念ながら1971年に焼失してしまいました。1988年に日本から開発援助の一環として新しいオペラハウスが贈られました。当時、ヨーロッパ諸国では開発援助でオペラハウスを贈ったと言う事で日本の文化度を高く評価していました。

さて、この日本の文化度の高さを示すオペラハウスの地鎮祭での出来事です。建設事務所の脇の空き地に1頭の大きな牛が連れてこられ、イスラム教の導師がコーランを牛の前で唱え、すぐさま牛の頸動脈が切られると、牛は徐々に前足を折り、跪いて横倒しに成って行きました。廻りは血だらけで、私が見たのはそこまでで、事務所に入ってしまいました。暫くして、秘書の女性が一緒に写真を撮ろうと呼びに来て外に出てみると、事務所の女性達が、血が滴る牛の首の角をむんずと掴み、私と一緒に写真を撮ろうと並んでいました。

日本的な感覚では、見るもおぞましいと言う所ですが、この頃のエジプトでは動物の屠殺を見ると言うのはそれほど稀な事ではありませんでした。ラマダン明けの休暇の前には、家の前の道路で羊を殺して、皮をはぐと言う血だらけの作業が当たり前のように見られました。さすがに今ではあまりにも残酷と言う批判の為か、公衆が見る事が出来る道路では禁止に成りましたが、エジプトの人々にとっては動物の血を見たり、触ったりと言う事は、日本的な穢れ(けがれ)と言う事とは結びつきません。動物を殺し、その捧げられた尊い命の血によって災いから守られると言う感覚です。

エジプトと同じ様に国民の大部分がイスラム教徒であるインドネシアでは、この「血」に対する感覚が全く違います。プロジェクトの開始、完成の時に、牛、鶏、羊などを殺してその成功を祈願したり、祝ったりすることはエジプトと同じですが、その血に触ることは「穢れ」となっており、牛や羊などを殺した際には、その首は土に埋めています。

このように、同じ宗教の国であっても禁忌というものに対する考え方は、全く正反対です。何が禁忌というものの基本的条件となっているのでしょうか。宗教ではなく、色々な要素、歴史が組み合わされてその国々、その民族の一般的な常識のようになるのでしょう。